山頂に駐車場があります。
北城側は八浜八幡宮の境内になっています。
中央尾根部には招魂社があります。
この歌の出典である「山家集」に「西国へ修行して罷りける折、児島と申所に、八幡のいはゝれ給ひたりけるに籠りたりけり。年経て又その社をみけるに、松どもの古木になりたるけるを見て(詠む)」と書かれており八幡宮のあるここに歌碑が建てられたようです。
八浜城の南側と東側の斜面には畝状竪堀がずっと掘られています。
八浜城の南側と東側の斜面には畝状竪堀がずっと掘られています。 現在、遊歩道が畝状竪堀を貫いていて破壊されていますが堀の断面を見ることができます。
南城の南側には横堀と畝状竪堀が作られています。
南城の南側には横堀が掘られています。
南城の南側には横堀が掘られています。
南城の最高所(城址碑)から西側を撮影。 四阿や遊具が置いてあります。
碑文にある「有名な七本槍」は有名な賤ケ岳七本槍ではなく「八浜七本槍」と言って「能勢頼吉・国富貞次・ 宍甘太郎兵衛・馬場職家・岸本惣次郎・小森三郎右衛門・粟井三郎兵衛正晴」という宇喜多家の武将たちです。
土塁で囲まれています。 南城の山頂部の主郭から北城へ向かう尾根筋は墓地になっています。
北城に建つ八浜八幡宮の案内図です。
東側には児島の最高峰である金甲山(鉄塔がいっぱい建っている山)が見えます。 金甲山は坂上田村麻呂が由加山の鬼(阿久良王)退治の戦勝の礼に身に着けていた金の甲(鎧)を山頂に埋めた伝承から金甲山と呼ばれるようになったそうです。
北城には八幡宮が建っています。
備前焼の狛犬です。 かつては帯曲輪だったようですが車道建設でこの一角しか残存してないそうです。
参道の途中にある曲輪です。かつては西側にも続く帯曲輪だったようですが車道建設でここしか残ってないそうです。 写真左側に畝状竪堀のある東斜面があり、右側には堀跡のような窪みがあります。
八浜八幡宮の境内になっています。
八浜城北城には八浜八幡宮が建っています。
北城から北側の眺望です。 児島湖は児島湾を堤防で仕切ってつくられた日本で最初の人造湖です。 児島湖の対岸は岡山市内で望遠だと岡山城も確認できました。
北城Ⅰ郭に建立されています。
北城の東側にも畝状竪堀があります。
城址は八浜八幡宮と両児山公園になっています。車で山頂まで行けます。 ちなみに、写真中央奥に見える山は八浜合戦において毛利側の本陣、常山城になります。
城址は八浜八幡宮と両児山公園になっています。車で山頂まで行けます。
写真左側の山は八浜城北城(郭)、右側の山が南城(郭)です。 真ん中の低くなった尾根まで車で登れます。
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