[岐阜県][美濃] 岐阜県不破郡関ケ原町玉
JR関ヶ原駅から城跡麓のエコミュージアムまで徒歩約60分でした。そこから山頂までは約30分です。歩きやすい道ですが、落葉の堆積している場所もあるので下山時は足元注意です。天気の良い日は伊吹山が目の前です。
玉の火薬庫跡柱近くの農道から攻城し、峠から主郭まで15分でした。城址はほぼ平面ですが、土橋、空堀、切岸、竪堀、井戸、大堀切があり、大軍が駐屯出来る感じがしました。なお、熊出没注意の看板がありましたので、熊対策をお忘れなく。
玉の火薬庫営門と立哨台の向かいの農道から東海自然歩道を経て登城口に入りました。登城道も整備されています。北東から南西に広い長方形の主郭があり、南端に大堀切、南東面、北西面には複数の竪堀があります。眺望も良いです。
関が原駅前観光交流館よりレンタサイクルにて攻城約19分。旧陸軍の玉の火薬庫営門と立哨台跡の少し先の橋を渡り、真っ直ぐに進めば登城口。東屋とその背後の山頂が城址で堀跡も確認できるのですが、旧陸軍の演習地だったこともあり砲台跡や塹壕跡も遺されています。中世から近代まで軍事的な要所だったことが伺えます。
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「長篠の合戦」を武田信玄の死から書き起こし克明に描く。勝頼は信玄の遺産である宿老たちを掌握できず苛立ち、家康は武田の圧力に対抗するため信長との同盟に神経をすり減らし、秀吉は信長の戦略を実現するために知恵を振り絞り奔走する。「鉄砲の三段撃ち」は武田軍が突撃してこなければ成り立たない。なぜ勝頼はそうしたのか、そこにいたる過程を様々な視点から描いていて見事だ。宮下帯刀ら戦の最前線に立つ地侍や足軽の戦いの様子も描かれている。また、長篠城、高天神城をはじめ数多くの城が登場し築城や攻城戦の様子が描かれている。
( こめつぶさん)
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