お知らせ 詳細
天守入口の幟は築城者戸田氏鉄の家紋「九曜紋」でした。
当日は偶然にも白石城で買った「九曜紋」(片倉家も九曜紋)のタオルをかけていました。
マンションの間に青空と映えます。
戸田氏鉄も築城の名手ですよね。
手前の植木が育つと正面が隠れてしまいそうですね。
天守入口の幟は築城者戸田氏鉄の家紋「九曜紋」でした。 当日は偶然にも白石城で買った「九曜紋」(片倉家も九曜紋)のタオルをかけていました。
模擬天守最上階にはVRでかつての尼崎城下を見下ろすタブレットが設置されています。南向きのタブレットを東側にふると実際の位置(本丸跡)にそびえたつ天守を見ることができます。
模擬天守は実際の天守のあった本丸跡から北西約300メートルずれた西三の丸跡に建てられています。 写真では左端の赤い屋根の体育館や白い校舎あたりになります。
模擬天守は実際の天守のあった本丸から北西約300メートルずれた地点にあった西三の丸跡に建てられています。 最上階にはVRでかつての尼崎の眺望が見えるタブレットが設置されていますが、かつての本丸側は階段などがあるためタブレットではなく画像が張り付けてあり、そこには天守が描かれており天守(模擬)から天守を見るという面白い体験ができます。(南向きのタブレットを一番左にふっても天守を見ることができます)
尼崎城の西大手橋東詰に最後の藩主桜井松平家の歴代を祀った神社が建立されています。名前繋がりで嵐の桜井ファンが多く訪れているそうです。
「尼崎市発祥之地 尼崎城址」とも彫られています。
戸田氏から続く九曜紋です。
最後の藩主桜井松平氏を祀る神社です。
金網越しに。隅櫓つきです。
明城小学校のミニ天守の横にある案内板です。校内なので金網越しにズームで。
金網越しに。隅櫓もあります。
尼崎市立文化財収蔵庫の裏の方にぽつんと置いてあったのですが何か不明。 矢穴があるのでとりあえず写真に。
本丸跡の文化財収蔵庫側から 収蔵庫との間の道は内堀跡なんでしょうか?
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する