鯰江城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
鯰江城遺跡
鯰江城は、鯰江氏、森氏によって、自然地形である「河岸段丘」を利用して築城された中世の城郭です。
旧鯰江郷の豪族であった鯰江氏が、荘園時代に、興福寺領の被官となってこの地を治めていました。
戦国時代になり佐々木六角氏の家臣として佐々木六角義弼を奉じて、信長の近江平定に対抗しましたが、天正元年(一五七三年)に、落城しました。
この時、空濠(ほり)を増設し、遠見櫓(やぐら)を増築するなどの城の規模拡大をしたと考えられています。
落城後鯰江氏は、全国各地に分散し各大名に仕えたということです。
特に、鯰江定春は、秀吉に仕えて大阪に土地を与えられ、その地を「鯰江」と呼んだそうで、現在も大阪市城東区にその呼称が残っています。平成四年十一月 愛東町教育委員会