勢多城は山岡譲渡も呼び建武中永享元年山岡信濃守景房が築く後に
三井寺を築き光浄院に葬る其の後九代の裔美作守景隆に至る世々勢
多に住す景隆織田信長に仕え三万石を領す天正十年明智光秀信長を
本能寺に弑し安土城を取らんとを欲し景隆を味方にせんものと使者を
立て勧告す景隆固く義を執りて応ぜず橋を焼き西岸の舟を集めて之
を絶つ光秀大いに困む時に徳川家康堺の浦にて光秀の乱を聞き東に
帰る途通ぜず宇治より間道を経て勢多に至る景隆弟景祐と共に前導
して田上山より信楽郷に達せしも土寇ありて路を遮る景隆之を討ち
破り徳川の安路を計る後に宝暦九年龍安寺西源院天寧和尚は隠れた
る忠誠の勢多城最後の城主従五位下山岡美作守景隆を忍び膳所城主
本多下総守安恒に進言す康胤勢多城跡に一宇を建て臨江庵と命名す
現在の臨湖庵之なり茲に遠祖の功業を偲び山岡氏一族の碑を建立す
昭和四十年十月十七日 駒井鳴水謹書
勢多城は山岡譲渡も呼び建武中永享元年山岡信濃守景房が築く後に 三井寺を築き光浄院に葬る其の後九代の裔美作守景隆に至る世々勢 多に住す景隆織田信長に仕え三万石を領す天正十年明智光秀信長を 本能寺に弑し安土城を取らんとを欲し景隆を味方にせんものと使者を 立て勧告す景隆固く義を執りて応ぜず橋を焼き西岸の舟を集めて之 を絶つ光秀大いに困む時に徳川家康堺の浦にて光秀の乱を聞き東に 帰る途通ぜず宇治より間道を経て勢多に至る景隆弟景祐と共に前導 して田上山より信楽郷に達せしも土寇ありて路を遮る景隆之を討ち 破り徳川の安路を計る後に宝暦九年龍安寺西源院天寧和尚は隠れた る忠誠の勢多城最後の城主従五位下山岡美作守景隆を忍び膳所城主 本多下総守安恒に進言す康胤勢多城跡に一宇を建て臨江庵と命名す 現在の臨湖庵之なり茲に遠祖の功業を偲び山岡氏一族の碑を建立す 昭和四十年十月十七日 駒井鳴水謹書
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