薮になっている部分も広くはなく、城趾の大半は宅地や田畑になっているようにおもわれます。
関ヶ原合戦前赤坂方面に向かう東軍の家康は、瑞雲禅寺の住職より大きな柿を進呈され、(大垣城を得たり)と喜ばせたと言います。写真のサルスベリの木の横に柿の木が残り、青い実がなっていました。
電柱と石碑とカーブミラーが並んでいる、という団員さんの写真コメントですぐ見つかりました。後ろの薮になっているところが城趾です。
薮になっている部分も広くはなく、城趾の大半は宅地や田畑になっているようにおもわれます。
付近の方が外におられ城趾碑の奥に入らせていただきました。この削平地の奥(西側)土塁状高まりが見えましたが、隣接する私有地とのことです。
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