踏切を渡った先にある登城口で、ここから住宅街の坂道を抜けると、宝積寺があります。
踏切を渡った先にある登城口で、ここから住宅街の坂道を抜けると、宝積寺があります。
宝積寺の入口にある門で、両脇に国の重要文化財の金剛力士像が立っています。
永正16年(1519)に作られ、名称は歌人・待宵小侍従の「待つ宵の更け行く鐘の声聞けば帰るあしたの鶏はものかは」に因むそうです。
宝積寺にある三重塔で、豊臣秀吉が山崎の戦いの後に1日で建てたという伝説があり、大日如来が安置されています。国の重要文化財。
閻魔大王及び眷属が祀られており、像は鎌倉時代に作られたそうです。もとは西観音寺に安置されていたものを、明治の廃仏毀釈により廃寺になったため宝積寺に移されたそうです。国の重要文化財。
神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基により開基されたと伝わっています。聖武天皇が夢で龍神から授けられたという「打出」と「小槌」を祀ることから「宝寺」とも呼ばれています。
宝積寺本堂の脇に残る小石。山崎の合戦の折、豊臣秀吉がこの石に腰を下ろして采配を振るったことから、出世石と呼ばれているそうです。
天王山頂への登り道の七合目付近にあり、展望台と休憩所があります。
青木葉谷展望台より大阪平野方面を望む。
旗立松展望台より京都盆地を望む。
山頂手前の山中にあり、元治元年(1864)の禁門の変の時、戦いに敗れ天王山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓です。
酒解神社の本社手前にある境内社の1つで、宗像三女神の三女、市杵島姫命が祀られています。
酒解神社の本社手前にある境内社の1つで、厳島社から少し行くと古い石段の上に覆屋の付いた御社殿が三つあります。右から天照大神、月読大神、蛭子神が祀られています。
天王山の頂上近くに鎮座する神社で、大山祇神と素戔嗚命が祀られています。
標高270.4m地点にある天守台で、わずかですが石垣が残っています。
主郭から南西の曲輪にあります。雨水を溜めて利用していたのではないかと考えられているそうです。
主郭西側の曲輪から天守台背後の腰曲輪に出ると確認できますが、見落としやすいそうです。
秀吉は山崎の合戦後、ここに本拠地として城を建て半年ほど住んでいたそうです。
山崎でおこった豊臣秀吉と明智光秀による天王山の戦いの際に、秀吉軍が自軍の指揮を高めるため、老松の樹上高くに旗印を掲げたそうです。
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