なしの丸について 大竹市は昭和47年より、亀居公園を作るため、この辺り一帯の整備を進めました。その際、土に埋もれて隠れていた亀居城「本丸」の石垣が姿を現しました。 その後、昭和53年と54年の2回にわたって大竹市教育委員会が発掘調査を行いました。その結果、本丸周辺の石垣、遺構·遺物(瓦·青磁·鉄釘)天守台の礎石などが見つかり、10の郭の存在が明らかになりました。 しかし、地元では、11台目の郭「なしの丸」の存在も伝承されており、文政2年(1819年)発行『国郡誌 小方村』にも亀居城の郭は11台と記されています。 元文5年(1740年)に描かれた「小方御城山図」(和田家文書)をもとに「なしの丸」があったとされるこの場所にも石柱を設置いたしました。 大竹市教育委員会
トーダイさんの夏バージョンです。
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