慈眼寺の隣の駐車場が代官所跡です。碑が立っています。
斜面が伐採されているところが東尾根の曲輪(パンフレットだとⅢ)になります。 ここからは新しく砂利をひいた道を歩いて行きます。 また熊の目撃情報は無しのようです。
ここから山道です。谷沿いの日陰道なので足元が悪いので気をつけて下さい。
日陰なので足元が悪いので気をつけて下さい。 見えてる稜線が北東尾根の曲輪(パンフレトだとⅠ)になります。
パンフレットだとⅠの曲輪・周山城への虎口になります。 門などがあったのだと思われます。
パンフレットだとⅠの曲輪です。倒木のせいか立入禁止になっていました。
東尾根の曲輪(パンフレットだとⅢ)の曲輪への直登コースは立ち入り禁止で、正規ルートの左側の道を進み虎口跡からの見学になります。 また撮影側の尾根側にある南東尾根の曲輪(パンフレットだとⅡ)も立入禁止になっていました。
東尾根(パンフレットではⅢ)の先端の石垣です。 周山城は東尾根の曲輪から石垣の城になります。 多くは土砂で隠れていますがちょこちょこ石垣が顔を出しています。
東尾根の曲輪(パンフレットだとⅢ)から周山城は石垣造りの城になります。 倒木で分かり難いですがここには石垣造りの大きな門(虎口)があったようです。
現在は落ち葉で埋まっていますが斜面は石垣造りになっています。 所々に石垣が露出しています。
東尾根の曲輪(パンフレットだとⅢ)の東端付近にあります。
立入禁止になっていた北東尾根の曲輪は鉄塔の立っている尾根に木がないところになります。
東尾根(パンフレットではⅢ)の先端の石垣です。 周山城は東尾根の曲輪から石垣の城になります。 多くは土砂で隠れていますがちょこちょこ石垣が顔を出しています。
門のあったとこだけ少し高くなっています。
道の下にも石積があります。
幅の狭い道です。 道の上にも下にも石垣が隠れています。
石垣造りで大きな門があったと思われます。
大半が落ち葉に埋もれてしまっていますが、本丸と二の丸の間の登り石垣です。
ここから本丸まで登り石垣になっています。
二ノ丸に無造作に転がっていた不自然に白くて真四角な石です。 現代のモノか、転用石なのかわかりませんが、同じく白くて真四角な石が小姓丸側の尾根の石垣付近にも転がっていたので転用石なのかな?
二ノ丸から本丸への坂の両脇が石垣になっている感じです。
二ノ丸と本丸間の通路(登り石垣)から。 本丸の東側の尾根になります。 左右の登り石垣を含め石垣で曲輪を囲繞しています。
二ノ丸から北尾根の曲輪群への連絡路の虎口のようですが、連絡路は消失していました。
周山城の天守台E型に石垣が残っています。大きな穴蔵があったようです。
本丸に設置してある案内板です。 字が消えて解読できず。
天守台すぐ脇の窪地です。 パンフレットにある青〇は実際の場所とずれているものがいくつかあるので注意です。
周山城の天守台には3つの入り口跡が残っています。 写真は東向きに二つ並んでいる入口跡です。
本丸南側の鷹屋ノ丸は南側はこんな感じですが西側の石垣は良く残っています。
石垣っぽいところはそれほど残っていません。
あまり判然とはしていません。
城道側には石材が転がっていました。
左の斜面が馬屋ノ丸、写真右側見切れていますが石垣跡が横に続き、南尾根の登り石垣の東側に繋がります。
崩壊が激しいです。
登城道の下も石垣になっています。(写真下部)
写真奥が馬屋ノ丸で、左下に下がっているスロープが南尾根の登城道。 手前撮影側の斜面もわかりにくいですが石垣づくりで東側に続いています。
東側(石段虎口側)の登り石垣です。
西尾根が一番石垣の残りがいいです。
こちら側の石垣は良く残っています。
正確には帯曲輪の石垣になります。南西側は計3段の一二三段になっているようです。
西側はよく残っています。
上段とは低石垣で分かれています。
台風被害で倒木が多かったです。
右側(北側)に石垣とは別に石塁の跡があります。
西尾根が一番石垣の状態がいいです。
ここが一番石垣が残っているところでした。
曲輪側にも石積みが見られ石塁になっていたのだと思われます。
西尾根の先には西城がありその間に二つの堀切があります。 写真は東城側の堀切を西側から撮影しています。
西尾根の先には西城がありその間に二つの堀切があります。 写真は西城側の堀切を西側から撮影しています。
西尾根を進んでいくと未舗装の林道が下に見えてきます。 そのあたりで尾根が南と西に分かれており西側に進むと西城へ登る斜面となります。
ここを登り切れば城内は平坦です。
西城は土の城で低土塁などはありますが曲輪間の高低差はほぼありません。
低い土塁で喰い違いになっています。 西城はトレイルランのコースなので他の尾根の曲輪より行きやすかったです。
手前と奥に低いですが土塁があります。
虎口の下には広めの遊歩道が通っていました。
西城の中央の曲輪には土塁で囲まれたような一角がありました。
大きな石材の左側に転用石と思われる真四角な石材が転がっていました。
西尾根(Ⅵ・小姓丸)下段の崩れた石垣付近に奇麗な真四角な石が転がっていました。転用石でしょうか。
小姓丸から井戸跡へは鉄パイプの手すりのある道を下りることになります。 入口にわかりにくい標柱もあるのですが、曲輪から斜面をのぞき込んで鉄パイプを見つける方が早いかもしれません。
小姓丸の北側の斜面を少し下りたところにあります。 降り口前に標柱の残骸らしきものがありますが注意してみてないと通り過ぎてしまうかも。
北尾根の一・二・三段目は石垣で囲まれており西側は登石垣になっています。 見えてる稜線は本丸です。
ここまで降りるのに道がないです。
この傾斜に石垣、さらにこの後ろにも同じような斜面が続いています。
縄張図などでは左側に道があるようですがよくわからず。
北尾根の急斜面を降りきると遊興施設跡ではないかという曲輪跡があります。
北尾根の急斜面を降りきると遊興施設跡ではないかという曲輪跡があります。
北尾根の急斜面を降りきると遊興施設跡ではないかという曲輪跡があります。
北尾根の急斜面を降りきると遊興施設跡ではないかという曲輪跡があります。 曲輪の中央部には写真のような石列があり、塀などがあったのかもしれません。
東側の切岸です。撮影場所は犬走り状の通路からです。
北尾根の先端は岩が剥き出しの高台になっていいました。
北尾根の遊興施設付近から谷を二つ超える感じの横移動で北北東尾根の曲輪にとりつくルートがあるのですが、写真の通り未整備で判然としていません。 (写真は北尾根から最初の谷筋)
北尾根の遊興施設付近から谷を二つ超える感じの横移動で北北東尾根の曲輪にとりつくルートがあるのですが、写真の通り未整備で判然としていません。 (写真は北尾根から2つ目の谷筋で見えてる尾根が北北東尾根です。)
かなり低くくて分かり難いですが、土塁による食違い虎口があります。 ここから尾根の先まで土の城がずっと続いています。
低くなって分かり難いですが土塁によって食違い虎口がつくられています。 虎口の先の尾根を登ると石垣造りの小さな曲輪があり、そこから本来は横移動で東尾根の曲輪(Ⅲ)に出れるのですが道が倒木などで寸断されていたため、二ノ丸まで直登して戻ることになりました。
北北東尾根の曲輪群はところどころ切岸があるくらいで、先端に近づくほど倒木が多かったです。
食違い虎口のある曲輪の切岸です。 北北東尾根の曲輪群は上の石垣囲みの曲輪とこの曲輪しか明瞭な遺構はないかも。
二ノ丸を下った北北東尾根(Ⅳ)にある石垣造りの小さな曲輪です。本来は東尾根の曲輪(Ⅲ)との間に横移動ができる城道があるのですが倒木で寸断されています。
二ノ丸を下った北北東尾根(Ⅳ)にある石垣造りの小さな曲輪です。本来は東尾根の曲輪(Ⅲ)との間に横移動ができる城道があるのですが倒木で寸断されています。
二ノ丸を下った北北東尾根(Ⅳ)にある石垣造りの小さな曲輪から。本来は東尾根の曲輪(Ⅲ)との間に横移動ができる城道があるのですが倒木で寸断されています。 ちなみに二ノ丸は写真の三角形に見える斜面の頂点のところです。
慈眼寺の隣の駐車場が代官所跡です。碑が立っています。
真っ黒な明智光秀像(くろみつ様)のある慈眼寺です。 御城印やパンフもおいてあります。
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