垂井城
垂井城

[岐阜県][美濃] 岐阜県不破郡垂井町垂井


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.46(--位)
  • 見学時間:17分(--位)
  • 攻城人数:229(435位)

長屋氏屋敷跡

長屋氏屋敷跡
弥一左衛門

太平記ゆかりの地
足利尊氏滞在の長屋氏屋敷跡
 文和二年( 一三五三年)六月十三日北朝の後光厳天皇は南朝軍に京都を奪われ、足利義詮らと共に垂井へ避難され、一時、垂井の長者長屋氏の屋敷を仮御所にされた。
 その頃、原、峰屋らの南朝軍がここを襲うと聞き、急いで美濃国守護土岐頼康の居城で揖斐小島の頓宮へ移られた。
 後光厳天皇は、八月二十五日足利尊氏の西上を聞き、頼康の造営した垂井頓宮へ戻られた。九月三日尊氏の大軍 、尊氏の大軍が垂井に到達し、尊氏は直ちに天皇に拝謁、天皇を安堵させた。
 尊氏の垂井での宿舍は、垂井の長者長屋氏の屋敷で、後光厳天皇の仮御所になった所である。その後、尊氏はここで病気になり、天皇の京都への還幸は遅れた。十七日尊氏の病気もなおり、天皇を中程にし、義詮が先陣、尊氏が後陣の隊列をつくり、垂井頓宮を後に京都へ出発された。

   

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今日のレビュー

全国 御城印 大図鑑

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御城印のデザインの由来など解説も充実しているので、御城印を集めていない人も楽しめます。
城の写真には提供した団員さんの名前も記載され、攻城団のみんなで作りあげた感が詰まっていて嬉しくなりました。

伝もものふ山田(ヤマー)さん)

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