高山右近時代の曲輪を発掘したもので、当時は、写真中央から左側が曲輪、右端が石垣です。木樋は、曲輪の排水用、廃棄された建築材は、石垣が崩れるのを防ぐ土留めとして使用されていたそうです。
手前は石垣を使用した高山右近時代の水堀跡で、奥が和田惟政以前の空堀跡で高山右近が高槻城を拡張するために埋めたと考えられるそうです。
高山右近時代の曲輪を発掘したもので、当時は、写真中央から左側が曲輪、右端が石垣です。木樋は、曲輪の排水用、廃棄された建築材は、石垣が崩れるのを防ぐ土留めとして使用されていたそうです。
断面の下部には堆積した泥土層、その上には一気に施工した埋立て層があり、この埋立て層内から発掘された陶器、漆椀から、埋立てが高山右近時代に行われたことが分かったそうです。
今回の発掘で、二の丸から長さ約8.5メートル、幅約4メートルの布基礎建物跡が初めて見付かり、大きさから土蔵跡と考えられているそうです。
不等沈下を防止するための胴木を据えた石垣で、積み石、飼石、裏込を補強するために周囲で掘り出された粘土層を使用して、固めているそうです。また、胴木が備えられていることから、水堀だったことが分かります。
中央部に丸太があるのがお分かりいただけますでしょうか。実は丸太ではなく、木樋で、高山右近が空堀を埋めて拡張した曲輪の水抜き用の木製パイプと考えられるそうです。
仏日寺が所蔵する高槻城絵図のレプリカです。高槻市立しろあと歴史館で撮影しました。家臣の名前から江戸時代前期の高槻城下町を描いたものだそうです。
江戸時代に三の丸北郭であった現在の高槻商工会議所会館の南側に、石碑と案内板があります。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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