宮之浦城ケ平城跡
(みやのうらじょうがひらじょうあと)
上屋久町指定文化財 昭和六十三年四月二十六日指定
文化財分類 記念物 文化財種類 史跡室町時代後期、全国が戦国動乱期に入ると、屋久島においても、領主種子島氏と大隅半島南部の禰寝(ねじめ)氏との間で、屋久島をめぐる合戦が行われています。
屋久島は、大陸への海上交通の南島(なんとう)の拠点として、大きな役割を持っていました。
天文十二年(一五四三)、禰寝氏は、種子島十三大恵時(しげとき)の悪政を正すとの名目で、直接種子島に来襲し、との戦いで種子島氏を破り、屋久島を奪いました。
城ケ平城は、屋久島を手に入れた禰寝氏が、種子島氏の攻撃に備えて築城途中の山城でした。
しかし、翌年屋久島奪還を企てた種子島氏から攻撃を受けると、禰寝氏はたちまち城ケ平城から敗走しました。
現在の城ケ平城跡は、曲輪(くるわ)、空堀(からぼり)、土塁(どるい)などが残る中世戦国時代の貴重な史跡です。
上屋久町教育委員会
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