お知らせ 詳細
落城した篠脇城を、和歌を贈ることによって返還してもらった話が残っているそうです。
落城した篠脇城を、和歌を贈ることによって返還してもらった話が残っているそうです。 その時、東常縁が贈った10首とそれに対して斎藤妙椿がかえした一首の歌碑です。
ARアプリを開いてQRコードを読み込むと「篠脇城跡」の特徴の画像と音声が流れてきます。イラストは篠脇城の主郭です。
ARアプリを開いてQRコードを読み込むと「篠脇城跡」と「東氏」の画像と音声が流れてきます。イラストは篠脇城の遠景です。
東氏の9代目・東常縁の案内です。 東氏は和歌の家系でもあり特に常縁は高名で「古今伝授の祖」と呼ばれているそうです。
アプリを入れて地図の番号のところにある案内板のQRコードを読み込むと映像や音声ガイドが流れます。
麓の館跡です。
正に九十九折りの登城道です。
急斜面につくられた九十九折れの登城道です。整備はちゃんとしてあります。
登城道の中半から
登城道の九十九折れのコーナーには石仏が置かれていました。
急斜面に九十九折れの登城道がつくられています。
登城道の中半から東側の眺望です。案内板には 「上流より展望す 母袋 西俣 東俣 兼頼 会津 牧村 柵井 山田(さんでん)」 とありました。
登城道脇に現れる竪堀です。 これが見えたら城址はすぐそこです。
左手が大手門通りで畝状竪堀が、右手が新道で水手曲輪があります。
新道側がメインの登城道のようです。 複雑に竪堀が絡み合っています。
新道に入って2本目の大竪堀です。復元模型では木橋になっています。
新道に入って2本目の大竪堀
新道から少し下りたところに井戸があります。
水船をともなった井戸屋形があります。 また写真左側の尾根には堀切があります。
小さな山城でよくみるサイズの堀切です。
このあたりから東側斜面にずらっと畝状竪堀が続きます。
新道からの虎口付近からの写真で、通路部分なので狭く見えますが奥はもう少し広いです。 案内板の表記が腰曲輪かと思っていたら腰囲部と書かれていました。
奥に本丸が見えています。高低差はあまりありません。 二の丸の北東側はそれほど危険には見えなかったのですが、倒木や枯れ枝によって立入禁止になっていました。
二の丸の北東側はそれほど危険には見えなかったのですが、倒木や枯れ枝によって立入禁止になっていました。
奥に土塁が見えています。 令和元年度から4年間、篠脇城跡・東氏館跡の総合調査を行っているそうで、発掘箇所にはブルーシートがかけられていました。
本丸にて
令和元年から4年まで調査をする計画のようです。
令和元年から4年まで調査を行っているようです。
令和元年から4年まで調査を行っているようです。
本丸の南西端の出っ張ったところに祀られています。
本丸の社の奥は張り出していてその下には二重堀切がありその奥には出丸があります。 ここから畝状竪堀が続く横堀や堀切に下りることができます。
本丸の南側、出丸や二重堀切の案内板です。
写真右奥は二重堀切です。
竪堀、横堀、堀切と大渋滞です。
下から撮影
出丸は藪化しています。写真は出丸の端から堀切(本丸)側を撮影したものです。
二重堀切の出丸側です。倒木が横たわっていました。
二重堀切の本丸側です。 写真左側が本丸です。
竪堀となって落ち込んでいます。
本丸下の横堀から
主郭下は横堀状の通路が取り巻いていますので、近くで畝状竪堀を見学できます。
大手門通りからのルートは犬走りを横移動のあとこの竪堀を横堀まで登り、そこからさらに切岸につけられたスロープを登って腰囲部(三の丸)へ出るコースになっています。
大手門通りから畝状竪堀を見上げてみました。
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10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
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