加納城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
国史跡加納城跡
文部省告示第一二八号
指定 昭和五十八年十月二十八日徳川家康は、慶長六年(一六〇一)三月、娘婿の奥平信昌(おくだいらのぶまさ)を加納城主として十万石を与え、また亀姫(かめひめ)の粧田として二千石を給した。
築城は岐阜城落城の翌年で、岐阜城の館邸を加納に遷して修築した。本丸、二之丸、三之丸、厩曲輪(うまやぐるわ)、南曲輪(大藪曲輪おおやぶぐるわ)などを備え、関ヶ原戦後初の本格的城郭であった。
加納城歴代城主は、奥平氏の後、大久保氏、戸田氏、安藤氏と変遷し最後の永井氏の時代に明治維新を迎えた。明治二年加納城第十六代城主、永井肥前守尚服(なおこと)が版籍を奉還し、加納藩は同年七月十四日に廃藩に至った。
加納城跡は、この本丸のほかは二之丸北側の石垣をわずかに残している。
岐阜市教育委員会