隅石だけで支えています。
石垣の脹らみを土嚢で押さえているようです。
地震前まではこの石垣の上には北十八間櫓という重要文化財の現存櫓が存在していました。 崩れた櫓、石垣の残骸は綺麗に撤去されていました。
地震まではこちらの石垣の上に東十八間櫓という重要文化財の現存櫓が建っていました。 石垣と共に崩落し下にあった神社を押しつぶしたそうです。
16年前訪れた時は本丸にあった谷干城像。本丸御殿の再建にともない麓に移されていました。
震災前の計画図です。この整備が一通り終わったら訪れようと思っていたのですが震災により夢となってしまいました。
この高石垣と現存五階櫓はいつ見ても圧巻です。
うむ、無骨でかっこいい。
宇土櫓は地震でも健在だと言うことでしたが、外壁の漆喰など剥がれててしまっている個所がありました。
手前は修復待ちの石材
地震まではこちらの石垣の上に東十八間櫓という重要文化財の現存櫓が建っていました。 石垣と共に崩落し下にあった神社を押しつぶしたそうです。
城の東と南の天然の堀となっています。
この場所に重文の長塀がありましたが地震で倒壊しました。
晩年、熊本藩に迎えられた宮本武蔵が「兵法五輪書」を書き記した場所です。結構、熊本城と一緒に取り上げられるのですが熊本城から山道を30分走った山の中にあります。
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