馬具櫓(ばぐやぐら)
熊本城の南の入口を守る一階建ての櫓(やぐら)で、馬具(ばぐ)を納めたと思われますが記録は見つかっていません。江戸時代には櫓正面に「下馬橋(げばばし)」が架かっていました。櫓は西南戦争(せいなんせんそう)前に解体され、石垣は砲台として使われました。現在の櫓は平成26年(2014)に木造で復元したものです。
平成28年(2016)4月16日の本震で石垣に膨らみが生じ、度重なる余震の影響で5月10日に崩落しました。
This is a turret that once guarded the southern entrance of Kumamoto Castle where harnesses were likely once carried in, but no records have been found. During the Edo Period, Geba Bridge was located in front of the turret. The turret was dismantled before the Satsuma Rebellion and the stone walls were used as artillery batteries. The current turret was reconstructed with wood in 2014. The stone walls that had buckled as a result of the main shock of the earthquake on April 16, 2016 and its repeated aftershocks collapsed on May 10, 2016.
隅石だけで支えています。
石垣の脹らみを土嚢で押さえているようです。
地震前まではこの石垣の上には北十八間櫓という重要文化財の現存櫓が存在していました。 崩れた櫓、石垣の残骸は綺麗に撤去されていました。
地震まではこちらの石垣の上に東十八間櫓という重要文化財の現存櫓が建っていました。 石垣と共に崩落し下にあった神社を押しつぶしたそうです。
16年前訪れた時は本丸にあった谷干城像。本丸御殿の再建にともない麓に移されていました。
震災前の計画図です。この整備が一通り終わったら訪れようと思っていたのですが震災により夢となってしまいました。
この高石垣と現存五階櫓はいつ見ても圧巻です。
うむ、無骨でかっこいい。
宇土櫓は地震でも健在だと言うことでしたが、外壁の漆喰など剥がれててしまっている個所がありました。
手前は修復待ちの石材
地震まではこちらの石垣の上に東十八間櫓という重要文化財の現存櫓が建っていました。 石垣と共に崩落し下にあった神社を押しつぶしたそうです。
城の東と南の天然の堀となっています。
この場所に重文の長塀がありましたが地震で倒壊しました。
晩年、熊本藩に迎えられた宮本武蔵が「兵法五輪書」を書き記した場所です。結構、熊本城と一緒に取り上げられるのですが熊本城から山道を30分走った山の中にあります。
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