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天守礎石
昭和二十年(一九四五)に焼失した旧国宝天守の礎石。地階穴蔵の地盤の上に置かれており、巨大な天守を支えていた。長く焼け跡に残っていたが、天守閣再建にあたり現在地に移し、かつての敷設状況を再現した。
名古屋城の撮影としてはスタンダードな方向でしょうか?西南隅櫓は平成26年10月に足掛け5年にわたる解体修理が完了しました。
名古屋城本丸内にある案内板を紹介します。 名古屋城本丸御殿とは Nagoya Castle Hommaru Palace 名古屋城本丸御殿は,尾張藩主の住まいとして徳川家康(とくがわいえやす)の命に建てられました。寛永11年(1634)には将軍のお成(なり)御殿として上洛殿(じょうらくでん)が増築され,格式高き御殿として知られていましたが,昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。名古屋市では,平成21年(2009)1月から本丸御殿の復元に着手し,平成25年5月には入り口にあたる玄関,謁見(えっけん)の場である表書院(おもてしょいん)などの公開を開始しました。 Nagoya Castle Hommaru Palace was built in 1615 as the residence for the leader of the Owari Domain. The palace burned down in the wartime air raids of 1945. Restoration work began in january 2009,and Genkan,the entrance hall and Omote Shoin,the main hall opened to public viewing in 2013.
虎や豹が描かれています。
奥が上段之間(15畳)手前が納戸之間(24畳)です。
とても豪華です。
より近づくほど迫力あり。
天守礎石 昭和二十年(一九四五)に焼失した旧国宝天守の礎石。地階穴蔵の地盤の上に置かれており、巨大な天守を支えていた。長く焼け跡に残っていたが、天守閣再建にあたり現在地に移し、かつての敷設状況を再現した。
姫路城の3倍の容積を誇るだけに凄まじい迫力があります。
外観は素晴らしいです。
本丸の南東隅にある屋根二重・内部三階の櫓。出窓には「石落し」が設けられています。かつては武具が納められていました。
櫓もとても大きく、安定した貫禄を感じます。
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