お知らせ 詳細
慶応四年(1868)一月、前藩主の徳川慶勝が佐幕派の藩主14名を処刑し、佐幕派を一掃した事件の碑です。
桜は一週間前に満開を迎え、もうほとんど散っていました。
大天守と小天守を連結する櫓台は、高い土塀で囲われ、堀の軒に鋭い槍の穂先がぎっしりと並べられていたそうです。
鵜の首とは、堀を内側に入れこみ道幅を狭くした部分だそうです。
この時間はまだ観光客もまばらでした。
わずかに咲いていた桜と一緒に
右手は本丸御殿ミュージアムショップの入り口になります。 城内にはたくさん売店があり微妙に品揃えが違いますが、こちらでは本丸御殿のグッズが購入できます。手拭いなど和の物が他の売店よりも売られていた気がします。外国人の観光客の方がたくさん手拭いなどを買っていたのが印象的でした。ちなみにお土産に、本丸御殿障壁画の金のクリアファイルを購入しました。
有名な内堀の鹿もいました。
南側を撮影しました。
昭和の天守を見納めに初めて間近で見ました。
別の角度から撮影しました。
こちらは観光客も全くなくて静かでした。
辛うじて咲いていた桜と一緒に
不明門脇の堀にズラリと積み直しを待つ石垣が並べられていました。
こちらの堀にも石垣がゴロゴロしてました。
今回は城内や天守内など、見学したい場所がたくさんあったのであまりゆっくりとは見学できませんでした。 GW中に本丸御殿メインにもう一度攻城します。
この場所だけ石垣の積み方が他と違いますね。
金シャチ横丁への通り道のため、二之丸大手二之門は人の往来が結構あります。
北側を撮影しました。
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武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。
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