TETSUさんの写真と逆方向で。写真中央付近が登城口で、登山ノートもここにあります。左の「林道倉科坂線」からもいけるようですが、通るのには許可が必要です。
必ず見てから攻城したほうがいいです。私は写真を撮ってから行きました。地形図必携と書いてありますが、主郭までなら案内板があるので必要ないかと思います。
写真左に行くと陣場平(上杉謙信陣城跡)へ、中央の白い立て看板を左方向に行くと天城山、鞍骨城跡へ、下ると大塚古墳へ行けます。写真右側に車(私の愛車)が見えますが、軽、もしくは小型車4WDなら登城口からここまで来れます。ですが、かなり悪路+非常に狭い(幅2mないです)ので、運転に自信のない方は歩いて来た方が無難です。むしろ、そちらの方を強く勧めます。
真っ直ぐ行くと天城山山頂経由で鞍骨城方向へ、左に行くと二本松峠経由で鞍骨城方向へ行けます。私は二本松峠経由で行きました。
TETSUさんの写真の説明にもありますが、千曲市倉科側(写真右側)からとの合流点で、このまま鏡台山方向へ直進して行きます。
ここを真っ直ぐ行きますが、見ての通り倒木があるので注意してください。
まさに天空の城です。晴れている時の景色は気持ちがいいです。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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