笹薮の尾根先よりさらに200m登ると突然、バッサリと掘り切られます。深さ5m、幅は8m程度の大きな堀切です。
二重堀切の場所は比較的尾根の幅が広くて、堀切というよりは横堀のような感じがします。
二の郭の南側の一部ですが、方形の窪みが見られます。「長野の山城ベスト50」では、この地形は越後で見られる逆四角錐台形に彫り込んだ虎口と見られると解説されています。真田の洗馬城本郭でも同じ形状が見られました。
二の郭の山側の尾根は、この形状でバッサリと区切られています。 堀切の底は石で埋まっているので、恐らくはこの切岸は石積みで形成されていたのでしょう。 鞍骨城はこの堀切から先で突然、変貌します。
東側の最高所からみた鞍骨城本郭です。正面の西側から北側には土塁は見られません。
鞍骨城の東側はどんどん尾根が細くなっていき、小さな鞍部に堀切が施されて終わっています。両側は斜面というより崖です。 川中島合戦時に、松代背部の尾根伝いに武田別動隊が動いたとの解説がなされることがありますが、夜にこの細尾根を一万二千もの大人数が来たら、半分はこの崖から落ちてしまいます。この先には鞍骨城があり、通れません。
鞍骨城の大手筋である西側の状況です。下に見える段郭はどれも切岸が鋭くて、とても登れるものではありません。往時ははしごでもかけて、上り下りしていたと思われます。
松代SA近くより鞍骨城のある尾根を見ています。 ちょうど送電線鉄塔のある当たりに二重堀切があり、そこから左側の台地地形が鞍骨城域です。
鞍骨城には千曲市倉科から谷沿いに登る道と長野市清野の妻女山展望台から尾根道を登る道が有るそうです。私はここ、妻女山展望台に車を止めて登ることにしました。
妻女山より鞍骨城への尾根には林道が通っています。悪路2WD不可という道です。 左側には訪問者ノートの置かれたポストがあります。で、その下の案内標識には「ここは妻女山ですが、本当の妻女山ではありません」って書かれています。・・・何ですと!?(びっくりしすぎて写真撮り忘れました) 上杉政虎が本陣を置いた「斎場山」はここから1kmほど登った場所にあるそうです。それから、鞍骨山まではコースタイム100分…。じっくり歩きましょう。
鞍骨城へ向かう林道からわき道をそれた小高いピーク上に、五量目塚古墳という古墳があります。ここが第四次川中島合戦の時に関東管領上杉政虎が陣取った場所です。木立が無ければ篠ノ井から川中島、善光寺まで見渡せる絶好の場所です。しかし・・・唯一、海津城が見渡せない・・・。現在、妻女山展望台のある赤坂山の尾根が邪魔してよく見えないです。ここでは、琵琶をかき鳴らしながら海津城から立ち上る炊煙を見つめる上杉政虎は描けません。
妻女山より鞍骨城へ向かう尾根の途中に天城山(てぎさん)という山を経由します。その名の通り、山頂には山城の跡が有ります。この天城山から妻女山への尾根ですが、よくキツツキの戦法にて武田の別動隊一万二千が通ったとして矢印がこの尾根の上を通ります。実際の尾根がこれ。人が三人並べない細尾根で、両側が鋭く切れ落ちます。現地に来ると、キツツキのルートは絵空事と判ります。
天城山の堀切は岩盤を割って作られているらしいのですが、かなり埋まってしまっています。
天城山と鞍骨山の中間くらいにある鞍部は二本松峠と呼ばれています。すでに妻女山からは1時間程度歩いていますが、いまだ鞍骨城の城域にはたどり着いてはいません。千曲市倉科より谷沿いに登ってきた道は、ここで尾根道と合流して、鞍骨城を目指すことになります。
二本松峠まで来て、ようやく鞍骨城への道標が見られます。まだあと850m、登山道を登っていかなければなりません。
天城山山頂です。削平されており、周辺部には土塁と思われる盛り上がりも見られます。周囲が切岸成形され、全体にプリンの形になっていました。これには理由がありました。
天城山山頂には坂山古墳があり、この墳丘を山城に利用していたようです。
天城山の鞍骨城側の尾根には明確に堀切が掘られていました。この堀切が背後の守りとするなら、天城山城は鞍骨城の支城として前面を守っていたことになります。
二本松峠ですが、形状からすると明らかに堀切の形をしています。鞍骨城の最も末端部と言っていいかもしれません。
二本松峠より200mほど登ると、笹薮に覆われた尾根先に浅い堀が切られた地形がみられます。「長野の山城ベスト50」によれば、この場所が鞍骨城の末端との記載があります。写真ではよく判りませんが、堀と土塁で尾根先を区分しています。
残念な位置に木が生えていますが・・・。きれいなV字型をしています。
松代SA近くから遠景で見た送電線鉄塔を越えるとすぐに、二重堀切が現れます。
二重堀切を越えると、鞍骨城内では一番広い平地が現れます。二の郭と言える場所ですが、尾根上の一段高い場所と腰曲輪のような低い段との二段構造です。 尾根筋の段には何カ所か堀切のような溝が掘られています。
鞍骨城のこの切岸に突き当たって、突然道が無くなってしまいます。当然、直登は無理。側面は急な斜面です。仕方なく、切岸と斜面の境を下草を頼りに上がることにします。
切岸上部には平地確保のために積まれたと思われる石積みがあります。
鞍骨城の二の郭と本郭間は傾斜が急になり、尾根筋も狭くなります。その急斜面に2段ほど三角形の段郭が切られています。 この段郭の目の前の切岸は高さ約8m、ほぼ垂直です。直登は無理。写真の右側、南斜面の木に赤い布が縛られているのを発見!そこを目指します。
鞍骨城の本郭はこの上、20~30m上ですが、急斜面であり、全く手がかりが有りませんので、ただ、先人が残した道しるべを頼りに急斜面を横切ります。 直登したら恐らく途中で立ち往生して、滑落します。やめましょう。
鞍骨城の本郭は全周、石積みがされています。この地形ですから平地確保のためでしょうが、どこを撮っても素晴らしい!!
鞍骨城は山頂部を長方形に削平してあり、東側から南側周辺には土塁があります。東側の土塁はひときわ高くなっています。
天空の山城とのことですが、いやいや、天空の要塞ですよ、これは。本当に素晴らしい!!
信州の山城ではここに大堀切が切られていますが、鞍骨城では有りません。直下に郭があり、その先は細尾根が続いています。
鞍骨城背面の地形です。 郭とも大堀切とも言える地形ですね。
鞍骨城から松代城は足元の様に見えます。比高差400m、この差は大きい。
南側の眺望ですが、木々に阻まれてよく見えません。しかし、天正壬午の乱の時に篠ノ井まで進出した北条氏直が、鞍骨城の尾根に林立する上杉軍の旗に恐れて、川中島への侵攻をあきらめたと言われていますから、木が無ければよく見通せたのでしょう。
鞍骨城本郭の虎口は、南側の真ん中に土塁が切れていて、ここから入ります。
虎口周辺の土塁裏の石積みです。
急な切岸と土留のための石積みが、この城独特の風景を醸し出している。こんな山奥で、この景観に出会えて、本当に感激です。
鞍骨城本郭の石積み。切岸部分に使われていて、土留め目的と思われます。
馬出郭の10mくらい上に本郭の石積みが見えます。大きな岩の間をジグザグに登っていきます。
本郭脇の斜面を回り込んで、ようやくたどり着いた段郭。ちょうど本郭の虎口下に作られた馬出の位置にある段郭です。とてもきれいに削平されています。
先人達が残した道しるべが示す、登城道です。道には見えませんが、唯一、本郭に続くルートです。
先人の残した道しるべ。この矢印と枝先の赤い布切れだけを頼りに本郭脇の急な斜面を横切ります。
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