登城道周辺が綺麗に伐採されていました。
二の丸御殿の二階楼があったあたりです。
二の丸表門脇の二重櫓があった場所です。
写真左側に二の丸表門脇の二重櫓が建っていました。
屋根を修理中でした。
往時から二の丸枡形は城外側には門はなく、石垣上に建造物がなかったそうで今の状態と変わらない姿だったようです。
二の丸枡形は外側の虎口には門はなく、二ノ丸側の表門も櫓門ではなく藥医門でした。
二の丸口の桝形です。
一般的にはこの虎口にも門があり奥の門と2つの門で枡形を形成していますが、米子城の二の丸桝形は外側に門は無かったそうです。
桝形付近です。
米子城内の至る所に石仏がありました。
もともとこちらの飯山に応仁の乱頃に城が作られました。その後出城として利用されました。 間には国道9号線が走っているので横断するのが大変でした。
現在はテニス場になっています。
城駐車場からの登山道もここに出ます。
内膳丸まで登石垣付近から石垣が続いています。
内膳丸から本丸へ向かって伸びています。
山頂のこの手の案内板はモデルガンで撃たれたような跡が残ってる物が多かったです。
内膳丸は石垣で囲まれています。
大天守台は中村時代の石垣、小天守台は幕末の積み直し、大天守台下の二段は上が平成、下が昭和に積み直されたものです。
こちらの虎口付近には番所曲輪があり藩士が交代で詰めていたそうです。
調査中なのか崩れたのか、剥き出しになっていました。
調査中なのか崩れたのか土が剥き出しに、そして上に石列が見えていました。
番所曲輪の下では竪堀の発掘調査中でした。
四重櫓台は吉川広家時代の天守台で幕末に積み直しされています。 また一番下に見える石垣は吉川広家時代の石垣になります。
番所曲輪下では竪堀の調査をしていました。
こちらの坂から本丸頂部へ上がれます。 右側は小天守台になります
小天守台の隅にぽつんとある石は明治時代にいつのころからか置いてあったという忘れ石です。
小天守台の隅にぽつんとある石は明治時代にいつのころからか置いてあったという忘れ石です。
鉄門跡のところにあります。 米子城が岩山に造られており石材は現地調達した証です。 ただなんでこんな目立つところの岩を放置していたのかは謎です。 ここ以外にもよくみると石垣の下に矢穴のある岩盤が見え隠れしている箇所があります。
左側に門の礎石が見えています。
写真の鉄御門の枡形を形成している石垣は小天守台に向かう土橋も兼ねています。 奥は大天守台です。
吉川氏時代の天守台跡になります。
最初はこちらの飯山に城が築かれたそうです。
城下町側になります。
こちらの尾根が内膳丸です。
綺麗に礎石が残っている中、手前左側は三角点の標柱です。 大天守台は広く写真は北端です。
米子城の大天守は本丸側からだと低石垣上に建っている感じです。
外側からは高石垣の上に建っているように見えますが、写真でもわかるように本丸側からは岡山城のように低石垣の上に四重五階の大天守が建っていました。
大天守台の隅の下に岩盤が露出しています。
大天守台の隅の下に岩盤が露出しています。 米子城が現地で石材調達し、岩盤を削って作られた城なのがよくわかります。
本丸西側の石塁の先には水手御門のある曲輪があります。 吉川時代はこちらが本丸だったそうで、二重櫓が二棟建っていたそうです。
本丸と水手御門を分けている石塁と門跡です。 門の先には本丸、石塁の左側の犬走りを進むと遠見櫓跡、背後には水手御門があります。
石垣脇の道を進むと遠見櫓跡です。
右側の石垣の一部が崩れた(石が割れた?)ので規制してありますが通行は可能です。
石垣の一部が崩れた(石が割れた?)ので規制してありますが通行は可能です。
平成27年度の発掘調査で発見されたそうです。
石積が確認できました。
遠見櫓跡の付け根の石垣は地形に合わせて斜めになっていました。
岩盤の上に石垣が
本丸の北側下段にある曲輪です。二重櫓が建っていました。 登石垣もここに接続しています。
登り石垣は遠見櫓に接続しています。
石垣が斜めに積み上げられています。
複雑に積みあがっていて素敵です。
どうしてこういう残り方しているか妄想すると楽しいですね。
二の丸桝形の南側にある城山大師を過ぎたあたりにある登城口から登ってくるとここに出ます。飯山(采女丸)へ行くためここから下山しました。
本丸から南東側にある曲輪で御船手郭の防衛のための郭です。 最近の発掘で石垣が確認されたそうです。
八幡台郭の一部は立ち入り禁止になっていました。
崩れているところも多く立入禁止箇所もありました。
城山大師の南側あたりになります。
交通量の多い国道9号線を信号のない横断歩道で渡らないといけません。 十分気をつけてください。
飯山(采女丸)に関する案内板はこれだけでした。
飯山山頂には現在忠魂碑が建てられ、周辺も藪化しているので遺構はみつけれませんでした。
トイレ付近の階段から。電線に絡まってる蔦が邪魔に。 飯山山頂も刈り込めばいい眺望になりそうなのに残念です。
飯山山頂には現在忠魂碑が建てられ、周辺も藪化しているので遺構はみつけれませんでした。
中央の赤い看板が「イオン米子駅前店」で米子駅周辺になります。 一番奥にうっすら見える山は大山です。
米子市営湊山球場沿いです。左側は土塁にも見えますが、パンフレットによると球場の半ばまで内堀だったようです。
三の丸跡内を通る駐車場への道から
かつては中海に突き出した岬状の出丸だったようです。 今は北側は埋めたてられ米子城の駐車場になっています。 台風被害で駐車場側が崩れて一部立入禁止になっています。
駐車場側の入口は土砂崩れで立入禁止になっていましたが東側からのルートからは登れました。 道標には「とりでの山」と書いてありました。
出山には2段の平地がありました。
石積らしき遺構がありました。
特に遺構はないようです。
米子城駐車場から西側の海岸に沿って御船手郭側に出れる道がありますが、現在は土砂崩れで車両通行禁止になっています。この道の中ほどに中海展望所がありそこからも本丸へ登れます。 中海展望所は写真の階段を登ってすぐです。
展望所とありますが高さもなく笹や木が邪魔であまり展望はよくなかったです。
現在はスポーツクラブになっていますが、深浦水軍の根拠地でした。
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