本丸の四方には幅が30m程の水堀が残されており、二の丸より広いものとなっています。本丸石垣が崩れないように犬走りが設けられています。
本丸の石垣は神於山周辺や瀬戸内海で採れた和泉砂岩と花崗岩が使用されています。折れが多用されていて、厳重な防備となっています。
平成4年(1992)、二の丸跡に復元された櫓で、中はトイレになっています。
二の丸の北側にあり、元和9年(1623)に伏見城から移築された櫓があったそうです。伏見城から移築された櫓は福山城に現存しており、岸和田城が戦略上重要な場所であったことがうかがえます。
本丸の北西に二の丸があります。当時は二の丸御殿が建てられていたそうで、現在は二の丸広場となっています。
昭和36年(1961)、二の丸に建てられた市民道場。老朽化と耐震性の問題で、令和6年度(2024)末に取り壊しが決定したそうです。
岸和田市の古墳の紹介、火縄銃の展示、岸和田煉瓦(キシレン)のレンガの展示、観光施設のパンフレットが置かれています。
本丸の入口は土橋が築かれており、奥には再建された櫓門が建てられています。
大手門の先にある巨大な釜。近くにある信貴本家酒造より寄贈されたもので、酒造用として使われていたそうです。
寛永17年(1640)~明治4年(1871)まで岸和田城主だった岡部氏の記念碑で、明治15年(1882)12月建立。
当時は5層の天守で高さは32mあったそうです。現在は3層の天守となっており、高さは22mで、内部は岸和田城や城主の岡部氏には関する展示がされています。
天守前にある庭で、昭和28年(1953)に重森三玲により設計された枯山水で、緑泥片岩で三国志の諸葛亮の八陣法を取り入れて、大将を中心に天、地、風、雲、龍、虎、鳥、蛇の陣を配しています。国指定名勝。
天守の展望台より八陣の庭を望む。
天守の展望台より二の丸方面を望む。
天守の展望台より五風荘を望む。
天守の展望台より千早城(金剛山)方面を望む。
天守の展望台より岸和田市街を望む。
水堀越しに石垣の上にそびえる二重櫓と多聞櫓は壮観で見応えがあります。
岸和田城の三の丸に鎮座し、御祭神は天照皇大神、素盞嗚尊、品陀別命の三柱だそうです。岸和田祭(だんじり祭)発祥の宮でもあります。
寺田財閥の寺田利吉が、旧岸和田藩主の新御茶屋跡などに昭和12年(1937)から3年の歳月をかけて造営した大邸宅。建物の延べ床面積は約300坪あり、木造2階建てとなっています。
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