墓の背後は土塁が切岸だと思っていましたが、どうやら違うようです。
駐車場はもう少し北へ行かないとないようです。
堀はずいぶん埋まってしまっていますが、土塁は高さを残しています。
関親子と結城直朝の墓の前の案内板から。
墓の背後は土塁が切岸だと思っていましたが、どうやら違うようです。
城址碑の北に東西に走る堀と土塁を発見。dougenさんの投稿画像は、ここだったんですね…
城址碑の北側の土塁は、この土塁につながっていたようです。3mほどの高さはあるでしょうか。浅間様が祀られていたようです。
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10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
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