菩提寺である西光寺に、柴田勝家公・お市の方の墓があります。
境内には、柴田勝家公資料館があります。(※予約制)
柴田勝家(しばたかついえ)公・お市(いち)の方の墓
柴田勝家は、尾張(おわり)(現在の愛知県)生まれの武将で、織田信長の重臣である。天正3年(1575)に信長が越前一向一揆を滅ぼすと、越前の内49万石を与えられ、北之庄(きたのしょう)に壮大な天守閣を持つ城を築いた。合わせて一乗谷(いちじょうだに)から城下町を移転させるなど、今日の福井市街地発展の礎(いしずえ)となった。
信長の死後、後継者をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と対立すると、同11年(1583)賎ヶ岳(しずがたけ)の戦いに敗れ、北之庄城にて妻お市の方と共に自害した。
勝家は、西光寺(さいこうじ)9代真誉上人(しんよしょうにん)に自らの死後の供養を懇請(こんせい)したと伝えられており、西光寺を菩提所に定めた。
毎年4月24日には2人の命日法要が営まれている。
平成29年 福井市
菩提寺である西光寺に、柴田勝家公・お市の方の墓があります。 境内には、柴田勝家公資料館があります。(※予約制)
菩提寺である西光寺に、柴田勝家公・お市の方の墓があります。 境内には、柴田勝家公資料館があります。(※予約制)
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