釣月院のある山腹と山頂で二段になっています。
釣月院へは南下のソーラーパネル施設を迂回するように、ゲートを開けて砂利道を5分ほど登ります。少し西の浄輪寺からも登山道がありましたが、ゲートからの方が道が良く、池で釣りをされている方もおられます。
釣月院の北西のトイレ奥へ一旦降り、なんとなく残る道から山頂へ登りました。こちらも5分ほど、すぐです。
釣月院のある山腹と山頂で二段になっています。 釣月院へは南下のソーラーパネル施設を迂回するように、ゲートを開けて砂利道を5分ほど登ります。少し西の浄輪寺からも登山道がありましたが、ゲートからの方が道が良く、池で釣りをされている方もおられます。 釣月院の北西のトイレ奥へ一旦降り、なんとなく残る道から山頂へ登りました。こちらも5分ほど、すぐです。
城山の山腹にあり、南方面の眺望がよく、岐阜城や名古屋駅ビルが見えました。
山頂付近にはくの字になって連なる曲輪群がありますが、西寄りのものです。
釣月院から登る道は荒れていますが、尾根に出ると整備されていて、散策は困難ではありません。 奥に堀切があります。
山頂郭より一段下の郭です。 長く使われていたお城だからか、よく削平されている感じがします。
城趾南側斜面は石積みが崩れたような箇所が非常に多くあります。 稲葉一鉄が清水古城を落城させた際、石垣を崩して麓に清水城を築いたそうで、その跡なのか、寺院の上だから、宗教施設的なものの跡なのかな。
1 源頼光六代の孫で頼兼、清水に住み、清水五郎その子頼高の子孫四代に亘り、約百六十年間清水に住み、清水古城の源を作る 2 林七郎左衛門通兼(初代、延元元年1336年)清水山頂に城を築く、六代通忠に及る約二百年間君臨す 3.禅宗の傑僧「夢想国師」古城山腹に「釣月院」を開基 4 城主加納悦左右衛門を稲葉一鉄が攻め落とし、天正年間(1573年〜)一鉄、山を崩し、平地(清水小学校地)に移し、清水城を築く。 5 この多くの墓石は、清水山城を守った武士のものであり、昭和52年土採りの際出土したものである と読みにくいですが、書かれてあります。釣月院の南東隅、昔のたくさんの墓石が並び三界萬霊供養塔が建っている奥にあります。200年余りも使われていたお城で、抗戦した人たちのたくさんの墓石があり、驚きです。
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