引田城
引田城

[香川県][讃岐] 香川県東かがわ市引田


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.24(--位)
  • 見学時間:1時間3分(--位)
  • 攻城人数:811(187位)

引田城の城主メモ 最新順

案内板の無い分かれ道が時々出てきますが、迷わず真っ直ぐ進み案内板のあるところで曲がりましょう。

(2024/04/15訪問)

道の険しさはそれほど感じませんので、山城に不慣れでも攻城しやすいです。
化粧池周辺は草が多いので注意が必要です。

(2024/03/23訪問)

北二の丸の石垣を一番の目当てにしていきましたが想像以上に良かったです。なお上段は崩落の危険からブルーシートで覆われていました。

(2024/01/23訪問)

カーナビ等で田の浦野営場に目的地を合わせ野営場に到着する手前の道に10台ほど停められる駐車場があり、案内板と北二の丸へ向かう登城口があります。杖が置いてありますので、借りていったほうが良いと思います。

(2023/06/21訪問)

引田駅から讃州井筒屋敷経由で登城口までで30分弱でした。想像以上に石垣を確認できました

(2023/01/28訪問)

港側登山口から10分程で本丸石垣に到着。何と言っても北二の丸の石垣が圧巻。海沿いの岩山ということで、景観と安全面からなるべく晴れの日がお勧め。帰りに大手道を辿ったところ、<位置情報>辺りに着きました。

(2022/11/28訪問)

今まで行ったお城の中でも眺望の良さは随一でした。

(2022/12/07訪問)

この時期、城内は蜘蛛の巣パラダイスと化していて蜘蛛の巣と格闘しながらの攻城となります。登山口に置いてある竹棒は蜘蛛の巣の薙ぎ払いにも大変重宝しますので持って行くことをお薦めします(私は拾った木の枝を振り回して進みました)

(2022/09/30訪問)

港側登山口から本丸~天守台へと登りました。登城する人が少ないのか、蜘蛛の巣や伸びた草木でかなり歩きにくい。キャンプ場の側登山口から降りると北二の丸の石垣が見どころになると思います。

(2022/08/22訪問)

引田城跡駐車場(20台強駐車可)にて車を停め、攻城。と行きたかったのですが、雨が降ってきたので、本丸攻城は断念。登城口の案内板の写真を撮り、引き上げました。

(2022/06/05訪問)

讃州井筒屋敷を訪問すると、駐車場の場所を教えてくれ、地図も頂けます。岩場が多く滑りやすいので、トレッキングシューズをおすすめします。景色は最高です。

(2022/01/07訪問)

登城口は引田港と田の浦キャンプ場にあるが、南側の引田港側を利用する人が多いようだ。どちらも登城口の近くに駐車場が設けられている。
遊歩道は、岩盤が剥き出しの箇所もあるが、全体的に緩やかで歩きやすい。

(2021/12/05訪問)

田ノ浦キャンプ場の駐車場(無料)からに止めて、少し手前の急な階段から登城。ニノ曲輪の下の石垣がきれいに残っていて、見応えありました。天守台跡は遺構と言う程のものは無く、大きな石が少しある程度でした。

(2021/04/23訪問)

散策マップは公民館にも、登山口にもあります。それを見ながら回ると迷いません。ただ、見どころに掲載されている写真と現実が異なるところもあります。

(2021/03/31訪問)

引田港にちかい登山口には広い駐車城もあり、登山道も緩やかです。

(2021/01/17訪問)

引田駅から登城口まで徒歩20分かからない位です。讃州井筒屋敷は案内所や休憩設備が充実しており、城へのアクセスを丁寧に教えてもらえます。

(2021/01/17訪問)

引田駅から旧街並みを通り山麓まで徒歩20分、そこから天守台まで徒歩10分です。

(2020/12/20訪問)

引田港側登山口に備え付けられたパンフレットに記された遊歩道を参考に散策。登城口でなく登山口。杖の準備もしてあるが、持参をおすすめ。とったルートは引田港側登山口~本丸の石垣~天守台~化粧池~引田鼻灯台~東の丸~北二の丸~北曲輪~大手門~南二の丸~引田港側登山口。

(2020/12/16訪問)

駐車スペースもあり登り道も整備されている。展望が素晴らしく石垣もかなり迫力がある。

(2020/04/16訪問)

登山口の杖はぜひ使って下さい。登りは石のところも多いです。クモの巣のすす払いにも使えます。

(2020/08/09訪問)
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今日のレビュー

悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 (日経文芸文庫)

嘉吉元年1441年、時の将軍足利義教が赤松一族に殺される、いわゆる、嘉吉の乱からはじまる物語です。
播磨、備前、美作の守護を領していた大大名が、何故時の将軍を討ったのか、結果、討ち滅ぼされてから、お家再興のため、悪党と呼ばれながらも時代の流れに抗う様が描かれております。
昔よくいったお祭り、奇祭さいれん坊主が赤松一族の霊を弔うものとは知りませんでした。

デュラけんさん)

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