海を望む南区曲輪は物見的役割だったのでしょうか。狭いです。
海を望む南区曲輪は物見的役割だったのでしょうか。狭いです。
消防塔の辺りは削平地となっています。その辺りは主郭にあたり千畳敷と言われていたそうですが、広くはなく、西へ向かう尾根も込みでそう呼ばれていたのでしょうか。それでも手狭なので、雑賀合戦の地を弥勒寺山城に移したのも頷けます。 主郭には櫓台跡状の高まりがあります。
南郭から主郭への道は西側に石積みがあります。いつの時代のものかわかりませんが、スナイパーが身を隠している様子を想像してしまいます。
少しだけ雑賀城について触れられています。
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