なべ

なべ()さん 大老 サポーター   フォロー

中部地方を中心にマイカー(ハスラー)で、城攻め中です。
1年間で走行距離が27000kmを越えました。
2年間で45000kmを越えました。最近は(列車+レンタカー)が増えました。
3年間で64000kmを越えました。絶好調です。
4年間で81000kmを越えました。最近はガイドしていただく攻城が増えました。
(令和6年6月1日追記)

なべさんのタイムライン

なべ

なべさん がアイコンを変更しました(2023-03-23)

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-03-09)

今日は2つの「桶狭間古戦場」に行って来ました。
まず、鷲津砦から丸根砦を経由し 、大高緑地公園内を歩き30分ほどで漆山と言われるところに到着しました。ここは鷲津、丸根砦がよく見え、両砦の状況を把握できる場所だと思いました。その後、桶狭間方向にある高根山(鳴海神社)まで歩きましたが、このあたりでは一番高い場所で鳴海城と3砦が見通せる位置にあり、今川側にとっては重要な拠点だと思いました。さらに、少し下り、名古屋市緑区の「桶狭間古戦場」と周辺の史跡を見学し、おけはざま山にある今川本陣を見て、さらに歩き、豊明市にある「桶狭間古戦場 伝説地」に到着。いずれも、宅地化が進み、山も削られ、当時の様子は全く想像できませんが、約3時間、2万歩の古戦場歩きでした。歩いてみて、体感したことから、もう少し【桶狭間の戦い】について調べてみたいと思いました。
写真は遠江二俣城主 松井宗信が今川本陣の前衛部隊として陣を置いた高根山です。信長側の動きを監視するには最適です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-03-06)

【桶狭間の戦い】の真実は?
2月に立て続けに鳴海城跡と大高城跡と取り巻く砦跡を攻城しました。
今まで、義元は駿府から上洛の途中だと思っていました。しかし、最近は、「尾張の平定」と言われているそうですね。大高城を救援するために義元が入り、元康に丸根砦、鷲津砦を落とさせ、信長を誘い出そうとしたが現れないため、おけはざま山に撤退途中に中島砦から出陣した信長本隊に攻撃され、ゲリラ豪雨もあり、義元が討ち取られたという説です。
確かに鷲津砦、丸根砦を落とせば、鳴海城との連絡も取れ、一定の目的は達成したとも考えられますが。
写真は信長が檄を飛ばした中島砦跡にある石碑です。「奇襲迂回説」を提唱したと言われる(日本陸軍)第三師弟団とあります。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-03-03)

攻城のより道
最近、【桶狭間の戦い】から織田信長に関わる城跡に興味が湧き、尾張エリアを攻城しています。ほとんどの城跡は残っておらず、道路や宅地化されており、よくて城跡碑、案内板です。でも、信長関係の書籍をより理解するために公共交通と徒歩で廻っています。一日に3、4箇所が限度ですね。一日2万歩で健康に役立っています。そんな途中で、不思議な武者像を発見し、思わず、途中下車
写真は名鉄小牧線の間内駅近くにある【浅野長政公】の銅像です。銅像前の石碑には、「長政は側室・八重との間に七郎という男の子があり、八重は七郎を連れ、美濃に逃れたのですが、元禄元年(1592)七郎が20才の時にこの牛山村に移り住み、慶安3年(1650)この世を去りました。」とありました。9代目子孫の方は大正2年にこの地を離れられたそうです。後年、銅像は子孫の方によって屋敷跡に昭和56年に建立されたそうです。
しかも、小牧山城から南東に約2kmの位置です。歴史の因縁を感じます。

なべ

なべさん の読者投稿欄「城址が学校になっているお城で印象に残っているのはどこですか? 」への回答が更新されました(2023-03-01)

長野県佐久市にある龍岡城跡(田野口陣屋)です。
日本に二つしかない五稜郭ということで、2021年7月に攻城しました。城跡に佐久市立田口小学校があり、感動しました。校舎、広いグランドが稜堡式の水堀・石垣に囲まれていました。
龍岡城五稜郭とも呼ばれ、三河奥殿陣屋の大給松平氏が幕末に藩庁を飛地の領地だった信州田野口に移し、築城したそうです。
攻城したのが日曜日だったので生徒の姿は見えませんでしたが、城跡に学校があるというのは羨ましい限りです。残念ながら、2023年3月に149年の歴史に幕を下ろすそうです。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-25)

今日は大高城址と取り巻く二砦に行って来ました。今回も公共交通と徒歩です。
鷲津砦より丸根砦のほうが規模が大きく感じました。いずれも比高15~20mです。丸根砦は沓掛城と大高城のライン上にあるそうです。つまり、鳴海城と沓掛城からの支援を妨げる位置にあったということです。
桶狭間の戦いは今川軍別動隊の攻撃による鷲津・丸根砦の落城により、義元が沓掛城から桶狭間に出てきたところを信長が攻撃したらしいですが、現地(先日の善照寺、丹下、中島砦と今日の丸根、鷲津砦)を俯瞰的に見ると信長は丸根、鷲津の落城をエサに義元を誘きだし、善照寺から攻撃したとするストーリー(大河ドラマで木下藤吉郎が語った)も十分うなづけますね。今後の課題にします。
写真は丸根砦から大高城方向の眺めです。白い塔の右にある小山が大高城址です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-23)

今日は鳴海城跡(根古屋城跡)と取り巻く三砦に行って来ました。いつものマイカーでなく、公共交通と徒歩です。
鳴海城跡の近くを流れる扇川(黒末川)が海岸線だったようですが、現状からは想像もできません。また、善照寺砦は鳴海城跡より少し高い所にあるようですね。鳴海小学校東側の堀切?を通り、天神社を経由して鳴海城跡の本丸(現在は鳴海城跡公園)に到着しました。
本丸の東側は結構低く段差なっており、城郭を連想させます。丹下砦跡、中島砦跡も比較的、鳴海城跡の近くにあり、相当なプレッシャーになったと思います。
やはり、歩いて距離・高低差を体感することは城跡に対して戦略的に配置された砦跡を攻城する時は必要ですね。
写真は 鳴海城の東曲輪だったと言われる所にある天神社に建つ鳴海城の城跡碑です。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-19)

足助七城の続きです。
昨日は昼過ぎからの小雨ともう一つ【中馬のひな祭り】で、たいへん混雑してました。2月11日(土)~3月12日(日)ですので、気をつけて下さい。
いろいろ調べてみると、足助氏時代の七城と鈴木氏時代の七城は異なるようですね。足助氏は飯盛城を本城とした黍生城、広瀬城、城山城、大観音城、臼木ヶ峯城、足助城(真弓山城)であくまで、足助エリアを囲む狭い城郭ネットワークですが、鈴木氏時代は足助城(真弓山城)を本城とした浅谷城、御蔵城、八桑城、安代城、大沼城、田代城の七城で美濃、三河、信州の境目に位置した広範囲のまさに戦国時代の城郭ネットワークのようですね。
また、足助城を復元した時の調査によると鈴木氏時代に築かれたのではないか?と言われているそうです。今後の課題にします。
写真は大観音城跡から見たひな祭りで賑わう足助の街です。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-18)

今日は足助七城に行って来ました。
と言っても、途中から小雨のため飯盛城跡、足助城跡、大観音城跡の3城跡のみとなりました。
足助といえば、鈴木氏かと思いましたが、よく調べるとその前に足助庄に来た浦野重長を祖とする足助氏の時代がありました。最初に入ったのは黍生城だそうです。重長の娘が、源頼朝の嫡男、頼家の室だった辻殿、公暁の母らしいです。
足助氏も元寇の乱以降、衰退し、全国に散り散りになり、鈴木氏にかわっていったようです。ちなみに、足助氏の家紋は鶴岡八幡宮の楼門に掲げられた【対い鳩】です。
写真は飯盛城跡の主郭手前にある巨石です。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-16)

今日は下麻生城跡と八坂山城跡に行って来ました。(どちらも未登録です)
下麻生城跡は戦国時代に稲葉良道(一鉄)が遠見山に築いたそうです。今は岐阜のグランドキャニオンと呼ばれているそうです。少し、飛騨川を下った位置にある八坂山城跡は室町時代に足利尊氏の重臣だった赤松円心の配下が築いたそうです。どちらの本丸近くにそれぞれ池、井戸があり、今でも水が枯れていませんでした。また、八坂山城跡には野面積の石垣が残っていました。いずれも飛騨街道と飛騨川が一望できる交通の要衝です。
写真は八坂山城跡の本丸から見える御嶽山です。右下に飛騨川が流れています。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-06)

【追加】小渡城跡も行って来ました。
大平城跡を攻城するにあたり、広瀬城から川口城、小渡城と矢作川を登って行きました。その中で小渡城を攻城した時の説明板が興味深いものでした。
今川義元安堵状(1556年?、桶狭間の戦いの3年前)に「鱸氏、岩村衆(明智遠山氏?)、広瀬氏が普請した」とありました。鱸氏は市場城跡(小原)の畝条竪堀の城主なので畝条竪堀を築いたことは理解出来ますが、美濃街道の宿場と矢作川の湊がある小渡を小渡城により防御した相手は今川氏(阿摺衆?)?
織田、武田、今川と「従属離反」が繰り返される美濃、三河境目の国衆、土豪の様々な力関係があるんでしょうね。
写真は主郭にある石塔です。風鈴寺で有名な増福寺から攻城しました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-05)

今日は遠山七頭の居城で唯一、攻城していなかった大平城址(串原城跡)に行って来ました。
明智遠山氏、四代目の遠山景忠の子、景綱が分家したのが串原遠山氏の始まりだそうです。登城口に案内板があり20分ほどで本丸に着きました。主郭からは麓の串原、柿畑の集落が見下ろすことができ、目前には大平城址の前に築城されたと言われる柿畑城址がある城ヶ峯山も見えました。
写真は主郭手前の曲輪にある険しい切岸です。曲輪には柵囲いがされていました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-02-03)

今日は鉈尾山城跡に行って来ました。
9時に麓の運動場駐車場に到着、外気温は3℃。東海北陸自動車道の古城山トンネルの真上に位置します。郡上街道が麓を通り、飛騨西街道が交わり、長良川の水運という交通の要衝です。佐藤氏三代の有事の際の城郭に相応しいたいへん険しい古城山の山頂にあります。毛鹿洞池(けじかぼらいけ)側から攻城し、雪の残る整備された登山道をひたすら役行者のように歩き続けました。主郭は吹きっさらしでしたので体感温度は零度以下、5分滞在し、体育館側に下りて来ました。
写真は本丸にある雪をかぶった東屋、中央に「美濃守佐藤才次郎城址」の石碑、手前に小倉山、遠くに伊吹山が見えました。

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なべさん の読者投稿欄「あなたにとって春夏秋冬それぞれの季節に訪れたい「四度の城」はどこですか? 」への回答が更新されました(2023-02-01)

私にとっての「四度の城」は犬山城です。
毎日のように眺めており、四季を通じて楽しませてもらっています。
写真は昨年11月に犬山城の近くにある針綱神社に孫の七五三お参りに行った時のものです。春の桜満開の時とは違った味わいです。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-23)

【追加】大給(おぎゅう)城跡に行って来ました。
2日にわたり三河の城跡を見て廻りましたが、その中で期待を大きく上回った山城が大給城跡でした。西方に九久平(くぎゅうたいら)を見下ろす急峻な山上に築かれている。九久平は松平郷につながる新城街道と足助街道の交差点であると同時に巴川の水運という交通の要衝でした。
整備された登城口から進むと大きな堀切があり、更に進むと主郭につながる虎口があります。南に下る曲輪3は城主の館跡と考えられているそうです。
岩津城に進出した3代信光が攻略し、孫の乗元が大給松平氏の初代となったそうです。
写真は巨石に囲まれた素晴らしい堀切です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-22)

今日は岡崎城、岩津城跡等に行って来ました。
リニューアル後の岡崎城の展示内容は見違えていました。大河ドラマ館では先着50名が入手できる「徳川家康の武将印」をゲットしました。毎月、変わるそうです。
昨日、訪れた松平郷から岩津城に拠点を移し、岡崎・三河に進行した3代信光が勢力を拡大し、実子を庶家し、その後6代信忠にわたり庶流十四松平と云われる松平一族を築いたことが松平氏の繁栄にあると思いました。
写真は岩津城跡の主郭にかかる土橋です。東名高速を挟んだ岩津天満宮は受験生家族でにぎわっていました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-21)

今日は松平郷に行って来ました。
松平城跡、松平東照宮、高月院、松平郷館などをゆっくり見て廻りました。
松平郷館では普段は非公開の高月院所蔵の8歳の竹千代が書いたと伝わる書【花月一窓】を拝見できました。小さな手形の上に「竹」と書いてありました。
また、高月院では住職から「どうする家康」見てますかと聞かれました。見てますよ、と答えると、家康が登誉上人(里見浩太朗)から【厭離穢土欣求浄土 】と諭される期待した場面、あっさりでしたね。しかも、榊原康政からでした、とがっかりしてました。大樹寺も行ってくださいね、と勧められました。
写真は堀に鯉が泳いでいた松平東照宮です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-09)

今日は1980年作品の「影武者」をTVで3時間見ました。
昨年12月に三河野田城跡など周辺の城跡を攻城し《徳川家康と武田信玄(平山優先生著)》を読み終わったところだったので、今までより興味深く見ることができました。40年以上、昔の映画ですが、「どうする家康」のバーチャルプロダクション技術では及ばない、さすが黒澤映画のリアリティー映像が見事でした。
写真は野田城跡の石碑です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-01-01)

明けましておめでとうございます。
朝の散歩がてら初詣?に犬山城に行って来ました。犬山城のバックに"初日の出"が昇る瞬間です。いつもより神々しく感じました。
昨年は充実した攻城三昧でした。暮れには地元で発表会までやらせていただきました。
今年は「家康」の年です。さらに充実した1年にしたいと思います。
団長さん、団員の皆さんの健康をお祈りするとともに攻城団を通じて更なる高みを目指しましょう。
今年もよろしくお願いします。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2022-12-22)

今日は地元の集まりで「スマホを使った城跡めぐり」の話を収集した御城印を持参して行って来ました。
初めに現存12天守から100名城、続100名城を紹介し、全国山城サミット、御城印、印象に残った城趾など至るまで、幅広く紹介しました。
攻城団の紹介では、サイトに接続して各種機能を説明しました。地図上にプロットされたお城には感心の声があがっていました。また、犬山城、岐阜城の攻城団チラシも紹介してきました。
時間は予定の1時間を20分オーバーしましたが、皆さん熱心に聞いていただけました。
団長、ありがとうございました。来年も「どうする家康」とともに愛知、静岡を中心に攻城をしたいと思います。団長、団員の皆さん、よろしくお願いします。
写真は集まりの12月スケジュールです。会場入口にも案内板がありましたが、撮り忘れました。

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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