なべ

なべ()さん 大老 サポーター   フォロー

中部地方を中心にマイカー(ハスラー)で、城攻め中です。
1年間で走行距離が27000kmを越えました。
2年間で45000kmを越えました。最近は(列車+レンタカー)が増えました。
3年間で64000kmを越えました。絶好調です。
4年間で81000kmを越えました。最近はガイドしていただく攻城が増えました。
(令和6年6月1日追記)

なべさんのタイムライン

なべ

なべさん が  安宅本城(和歌山県白浜町) を「行きたいお城」に登録しました(2023-09-29)

なべ

なべさん が  尾高城(鳥取県米子市) を「行きたいお城」に登録しました(2023-09-29)

なべ

なべさん が  狗尸那城(鳥取県鳥取市) を「行きたいお城」に登録しました(2023-09-29)

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-27)

今日は加治田城跡に行って来ました。
信長の東美濃侵攻のきっかけになった佐藤紀伊守の居城です。古城山の比高170m地点に主郭があります。搦手口から登りを約40分で到着しました。主郭を中心に複数の曲輪群があり、虎口には石垣(左上写真)がありますが、森長可による改修だそうです。大手曲輪(右中写真)を挟んで竪堀(左下写真)があり、前方には堂洞城跡を見下ろすことができます。(右下写真)は古城山麓にあった佐藤紀伊守の居館跡(旧加治田小学校)です。2年ぶりですが案内板、登山道等たいへん整備されていました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-24)

今日は大桑城跡に行って来ました。
前回ははじかみ峠から、今回は古城山登山口からです。「伝 岩門」を中心に石垣を見て廻りました。(下中写真)は岩門の巨石、岐阜城の巨石と同様、鏡石のような来城者には威圧感のあるものであったに違いないと思いました。(右中写真)は岩門付近の石垣。(右上写真)は伝 台所付近の石垣。(左下写真)は伝 天守付近の石垣。安土城以前の石垣です。(右下写真)は四国堀です。遠景写真は土岐氏を滅ぼした斎藤道三のいた岐阜城(稲葉城)方向です。美濃守護 土岐氏 最後の居館です。国史跡を目指しているそうです。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-18)

今日は妻木城士屋敷跡、妻木城跡に行って来ました。
3年ぶりの妻木城跡ですが、今回は士屋敷跡がメインです。
士屋敷跡の全景(左上写真)、蔵跡の石垣(右上写真)、井戸跡(右中写真)、御屋敷を取り囲む石垣(左下写真)。関ヶ原の戦いで、東軍に加わり7500の旗本になった妻木氏が陣屋として拡張したそうです。
(下中写真)は石垣のように見える巨石群、(右下写真)は十字形のくさびが残る巨石。堀切の付近にありましたが、妻木城はこのような花こう岩の巨石がゴロゴロしています。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-17)

今日は駿府城跡に行って来ました。
天守台発掘結果の説明会です。
本丸側に積み上げられた石垣(右上写真)
必見だったのは明治29年に取り壊された慶長期天守台、めったに見られない石垣内部の構造(裏込め石、石列、裏栗巻石、盛土)が見えました(中央写真)。築城時期の違う石垣と裏込め石(左下写真は慶長期天守台、右下写真は天正期天守台)。明らかに石垣、裏込め石の大きさ、形、量が違いました。
「どうする家康」に合わせ、機会があったら是非、行ってください。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-09)

今日は伊木山城跡に行って来ました。
新たな案内看板が整備されたと知り、久しぶりの攻城です。
西側の熊野神社から攻城です。途中、西曲輪から岐阜城(左上写真)を眺め、約20分で本曲輪に到着。南曲輪から小牧山(右上写真)がよく見えました。「小牧・長久手の戦い」を妄想。東曲輪から本曲輪への出入り口(左下写真)。裏込め石の石垣があるそうですが、不明。
構築は斎藤氏の対尾張防衛か、信長の東美濃侵攻か?
(右下写真)はキュピーの鼻から見た犬山城と対岸の宇留間城跡

なべ

なべさん の読者投稿欄「お城や城下町で実施される恒例の祭りやイベントで、オススメのものがあれば教えてください 」への回答が更新されました(2023-09-01)

毎年4月の第一土、日曜日に開催される犬山城の南登城口にある針綱神社の例祭です。13両のからくり車山(やま)が犬山城前に勢揃いした光景は圧巻です。写真は宵山祭りで勢揃い後に各車山が城下町を針綱神社の氏子が引き歩く様子です。車山の右に犬山城が見えます。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-07-02)

高天神城跡と六砦跡に行って来ました。
初日は講演会「高天神城の戦いと徳川家康」(高天神城を制する者は遠江を制す)を拝聴しました。
二日目はまず、一番高い小笠山砦跡から高天神城方向を眺めました(写真右上)。次は高天神城跡から見た火ヶ峰砦跡(写真下左の中央の小山)。次は中村城山砦跡(写真下中は南側口)。次は獅子ヶ鼻砦跡から見た富士山(写真右中)と廻りました。
家康の築いた六砦の包囲網により天正9年に高天神城が遂に落城しても無理はないと思いました。(写真右下)は東峰、本丸近くにある大河内政局の石窟

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-17)

今日は松倉城跡に行って来ました。現地説明会に参加しました。
なんと言っても一番は左上写真の「三の丸埋門」でしょう。4つの門柱のような巨石と通路には敷石、側には1.8mもある門柱に載っていたような石もありました。右上写真は三の丸隅櫓、櫓台の石垣と石段が見つかりました。右中写真は二の丸で見つかった礎石(新旧2時期)、左下写真は出枡形虎口、破城により両側の石垣が壊されています。左下写真は二の丸から見つかった「瀬戸美濃陶器」、「土師器の皿」、「産地不明の陶器の壺の破片」です。
気になるのは、埋門が姉小路(三木氏)の時代か金森氏の時代かです。
以前、攻城した時にブルーシートで覆われていた場所には素晴らしい遺構等がありました。
下中写真にあるように北アルプスの山並みが素晴らしく、30℃近い気温を忘れる時間でした。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-10)

今日は小鷹利城跡に行って来ました。
飛騨市歴史講座「飛騨の山城に行こう」の3回目です。今回も有名な先生の解説付きです。
念願の小鷹利城跡です。「境目の城」として白川郷方面から保峠、湯峰峠を超えて古川盆地に攻めてくる敵を迎え撃つ重要な拠点です。右上写真は虎口から見える古川盆地です。中写真は主郭に見つかった建物礎石と城跡標柱です。いかに姉小路氏(向氏)にとって、この城が重要であったかを表しています。左下写真は主郭前の大きな曲輪です。周囲にある土塁で守られています。右下写真は主郭からみて白川郷側にある大きな畝状竪堀です。野口城跡も攻城しましたが、畝上竪堀がはっきりわかりました。飛騨地方の山城には畝上竪堀が多いですね。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-03)

今日は丁野山城跡と中島城趾に行って来ました。台風一過の良い天気でした。
丁野山城跡の眺望スポットから見た小谷城趾はたいへんよく見えました。(左上写真)
午後は小谷城築城500年記念公演に参加しました。小谷城のほぼ全域が石垣によって築かれていること、山王丸が本丸だったこと、湖北、湖南にあるお城の石垣の違いなど、たいへん興味深く拝聴しました。

なべ

なべさん の読者投稿欄「徳川家臣団の中で誰にいちばん興味がありますか? 」への回答が更新されました(2023-06-01)

武田軍の小杉左近に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐(から)の頭(かしら)に本多平八」と言わせ、生涯で57回の戦いに参戦、一度も傷を負わなかったと言われる戦略家の本田忠勝。
また、小牧・長久手の戦いでは、秀吉が恐れた知略家の本田忠勝に興味があります。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-05-28)

今日は古川城跡に行って来ました。
飛騨市歴史講座「飛騨の山城に行こう」の2回目です。
今回も専門家の説明があり、2点に感銘を受けました。
1点目は「山城居館」の存在です。山城というと戦国時代の詰城で、戦いの時に籠城するものと理解していました。しかし、飛騨には山城居館として存在した山城があったということです。主郭に礎石跡(天守?)が見つかったそうです。そして巨石石垣の存在です。(左上写真)虎口に巨石が配置され(左下写真)、主の権威を示していたと考えられるそうです。中部地方には小牧山城、岐阜城、大桑城、七尾城、増山城に巨石石垣があるとのことです。2つ目は古川城は姉小路氏、三木氏、金森氏にそれぞれの時代の遺構面の存在が確認され、特に金森氏によって織豊城郭の特徴が顕著になり、新たな主の権威を示したようです。
(右中は有名な蛤石)
いやはや、飛騨の山城は面白い

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-05-21)

今日は傘松城跡に行って来ました。
飛騨市歴史講座「飛騨の山城に行こう」に参加です。
いい天気に恵まれ、常蓮寺の裏にある登城口から攻城です。懐の深い山城ですね。城郭に到着するのに1時間はかかりました。巨大な切岸、堀切、横堀が飛騨古川方向に残っていて、江馬氏が姉小路氏(三木氏)と対抗するための構造だと考えられるそうです。左上の写真は高原郷が一望でき、江馬氏館が、向かいの山には昨年、攻城した高原諏訪城跡が、よく見えます。
《しぇるふぁさん》お疲れ様でした。こんな出会いもあるんですね

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-05-06)

今日は3日前に行けなかった古宮城跡に行って来ました。
実はちょうど2年前に攻城しており再攻城です。
この2年間でいろんな城跡を見て来ましたが、今回攻城して、この城跡の素晴らしさが、よくわかりました。武田信玄が武田四天王で築城名人と言われた馬場信春に命じ、東・南・北が湿地帯である丘陵地に築城させたそうです。
東西に主郭(一城別郭)があり、その間に大堀切があり、土橋でつながっています。各々の主郭には幅広い仕切り土塁(左上写真)があり、上段・下段と主郭を分けています。用途が異なっているのかも?
武田築城術の両袖枡形虎口(右中写真)、丸馬出も配置され、丘陵全体が巨大な基地となっています。さらに作手街道を挟んだ丘陵地には先日、攻城した塞之神城(砦)と合わせ、武田氏にとって奥平氏、徳川氏に対する戦略的に重要な拠点であったことでしょう。
亀山城跡、石橋城跡も攻城しました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-05-03)

今日は愛知県新城市作手にある城址を攻城して来ました。作手郷に来た奥平氏が最初に築いた川尻城、その後、亀山城に移り築いた文殊山城、塞之神城です。この地は今川・武田・徳川の勢力争いの戦略拠点になりました。
文殊山城跡で、善福寺の前住職にお会いしました。アイスクリームをいただきました。文殊山城のある場所は善福寺の奥の院だったそうで、奥平氏が武田氏の攻撃に備え、一夜で築いたので「一夜城」と呼ばれているそうです。塞之神城跡は文殊山城から尾根伝いに30分ほど、歩きましたが、土塁(左下写真)や堀切(右下写真)が残ります。是非、文殊山城跡と合わせ攻城して下さい。見る価値はあります。
今日はGWのうえ、朝から高速道路で渋滞に巻き込まれたため、亀山城跡と石橋城跡と再攻城の古宮城跡は次回にしました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-04-29)

今日は2月攻城時に途中からの雨で攻城出来なかった足助七城の黍生(きびゅう)城に行って来ました。花粉症のために中断していた久しぶりの山城です。黍生城は平安末期、標高374メートルの山頂(比高240メートル)に尾張国の山田重長が築いた山城です。足助に居住後、足助氏を称し、足助氏の始祖とされています。
生憎の曇り空で主郭から御嶽山は見えませんでしたが、猿投山や名古屋のオフィスビルはよく見えました。帰りには香嵐渓で巴川に泳ぐ鯉のぼりを眺めながら、五平餅を食べました。この時期の香嵐渓は空いていて穴場ですね。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-04-01)

今日は犬山城の前で4年ぶりに開催された犬山祭を見に行って来ました。
犬山祭は毎年4月の第1週の土曜日、日曜日に行われる、針綱神社の春季祭礼です。1635年に始まり、犬山城主の成瀬氏に奨励され、13輌の山車(犬山では車山「だし」と呼ぶ)が昼と夜に町内を引き回されます。写真は寺内町の車山です。毎年、雨降りが多い犬山祭ですが、今年は今日、明日と好天に恵まれそうです。

このアカウントをフォローすれば「最近のひとこと」などの活動履歴をもれなくチェックすることができます。
フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る