なべ

なべ()さん 大老 サポーター   フォロー

中部地方を中心にマイカー(ハスラー)で、城攻め中です。
1年間で走行距離が27000kmを越えました。
2年間で45000kmを越えました。最近は(列車+レンタカー)が増えました。
3年間で64000kmを越えました。絶好調です。
4年間で81000kmを越えました。最近はガイドしていただく攻城が増えました。
(令和6年6月1日追記)

なべさんのタイムライン

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-07)

先日、甲賀に行った時に和田城館群にも寄って来ました。
JR草津線の甲賀忍者屋敷のような油日駅前(遠景写真)にある説明板(右上写真)を読み、和田谷の丘陵地にある中心的な和田城跡に向かいました。駐車場前にある和田城館群についての説明(右中写真)を見て、登城口(左下写真)から入りました。草木が伐採された腰曲輪(下中写真)を通り、高い土塁にある虎口(右下写真)を通過し、一辺が50mある方形の主郭に到着しました。甲賀地方の特徴の高い(7m)土塁、堀切に囲まれた土の城です。次回は後の15代将軍 足利義明が滞在したと言われる他の城跡も訪れてみたいと思います。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-05)

昨日は観音寺城の支城の1つだった箕作山城跡に行きました。
観音寺城と東山道を挟んだ箕作山(清水山)にあります。貴船神社の麓にある階段(右上写真)から攻城です。登山道がたいへん整備されています(右中写真)。40分程で箕作城跡の石碑(右下写真)に着きました。石碑の土台となっているのは破却された石垣でしょうか。さらに200m程歩くと北箕作山の主郭と思われる場所(左下写真)に到着しました。今は鉄塔がたっています。箕作山の戦いでは信長の合戦では最大の犠牲者を出したそうですが、この戦いにより信長は上洛を果たしたそうです。遠景は六角氏の観音寺城のあるサキガケ山です。その時代の歴史を妄想しました。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-04)

今日は湖南地域にある佐生(さそう)城跡に行って来ました。
観音寺城のあるキヌガサ山の北方先端尾根にあります。共同墓地(下右写真)の登城口から10分程で主郭と思われる場所(下左写真)に到着しました。登山道が整備されています。主郭には「後藤但馬守城跡」の石碑がありました。また、主郭南側には立派な石垣(下中写真)があり、主郭入口の石垣(右上、右中写真)も残っていました。観音寺城の支城かどうかはわかりませんが、突然の素晴らしい石垣出現にびっくりしました。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-03)

今日は甲賀郡中惣遺跡群に行って来ました。国史跡に指定されている寺前城跡・村雨城跡(下中写真)、竹中城跡(左下写真、)新宮城跡(右上写真)・新宮支城跡(右中写真)です。
新治集落にある丘陵に築かれた城郭です。竹中城跡は単郭方形の土塁に囲まれた城郭ですか、新宮城跡や寺前城跡は主郭、副郭の縄張りになっていました。また、新宮城跡と新宮支城跡、寺前城跡と村雨城跡は連郭城郭の構造となっていました。(左上写真)は新宮支城跡の堀底から10mもある迫力のある土塁です。(右下写真)は新宮城跡にある枡形虎口です。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-27)

今日は鵜沼宿にある旧大垣城の鉄門(くろがねもん)(左上写真)を見に行って来ました。
鵜沼宿は中山道69宿の52番目の江戸時代尾張藩領にあった宿場です。なぜ、大垣城の表門が鵜沼宿にあるのか不思議でした。説明板(右下写真)を読むと明治9年に払い下げられ、各務原市蘇原の安積家の門として使われていたようです。そのため安積門と呼ばれています。各務原市に寄贈され、鵜沼宿の東口に設置されたようです。控柱の立派な切妻屋根の高麗門(右上写真)で鬼瓦には戸田家の九曜紋(右中写真)が入っています。表面は鉄板で覆われた高麗門で、現存するの同様の門は名古屋城と大阪城の2例だけだそうです。できれば、大垣城に移設して欲しい。復元された脇本陣(左下写真)と町長屋(下中写真)です。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-21)

今日は鎌刃城跡に行って来ました。
あいにくの曇り空です。時々、小雨。
ゲート42が登城口です。北西の尾根づたいに整備された登山道です。北Ⅵ曲輪手前の大堀切から大石垣を廻り、北Ⅴ曲輪に到着しました。見事な枡形虎口(右上写真)がありました。北西尾根の7つの曲輪を通り、枡形虎口(左下写真)を経由し、石柱碑のある主郭に到着しました。副主郭の南曲輪Ⅱは立派な土塁(右下写真)で囲まれ、さらに大きな堀切(下中写真)があり、この先の尾根には7つもの堀切があり、極めて防御を高めています。
遠景写真は北Ⅵ郭の大櫓から伊吹山(木で隠れています)、横山城、小谷城、東山道が見渡せます。西側からは琵琶湖、佐和山、彦根城まで見渡せます。鎌刃城は交通の要衝にあり、北近江、南近江の境目。また、美濃、近江の境目の重要な拠点であることがよくわかりました。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-20)

今日は長比(たけくらべ)城跡に行って来ました。
柏原駅から歩き、柏原宿の中山道を野瀬山(下中写真)に向かいました。途中、東山道の石碑(右上写真)の前を通り、神明神社付近の長比城跡登り口にある石碑(右下写真)から登りはじめました。よく整備された登山道で40分ほどで東曲輪(右中写真)に到着しました。その後、西曲輪に移動しましたが、その入口がすごい土塁で囲われた食違い虎口(左下写真)でした。西曲輪は高い土塁で囲まれ、すごい防御能力を感じました。遠景は中程遠くに見える三角山が小谷城のある小谷山だそうです。浅井氏が越前衆によって、織田軍による東山道侵攻を防ぐために築いた陣城の素晴らしさを体感しました。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-19)

今日は山城ファンのきっかけとなった苗木城跡と広恵寺(こうえいじ)城跡に行って来ました。
14世紀初めに苗木遠山氏が入ったのが植苗木の城ヶ根山(右中写真は登城口)に築いた広恵寺城(右上写真は麓の記念碑)で約100年続いたようです。城郭内へは昨今の熊出没のため踏み込みませんでした。15世紀初めに高森山に苗木城(左下写真)を築き、移ったようです。(下中写真)は馬洗岩、(右下写真)は大矢倉。遠景は天守台から見た中津川市街地と木曽川、恵那山です。やはり、何度来てもいいですね。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-17)

今日は竹ヶ鼻城跡周辺に行って来ました。先人の足跡を参考に天正12年(1584)小牧・長久手の戦いにおける羽柴秀吉による10万の軍と竹ヶ鼻城の水攻めの跡を歩いて来ました。
資料館で教えていただいた地図に従い、20分ほどで羽柴秀吉が陣を構えた間島太閤山(左上写真、右上写真)に到着しました。3kmあったと云われる一夜堤ですが、石碑は今町交差点(右中写真)、羽島市斎場(左下写真写真)、市民会館付近(下中写真)、羽島郵便局付近(下右写真)の4ヶ所にありましたが、残念ながら堤らしい地形は感じられませんでした。約1万歩、1時間半の史跡歩きでしたが、水攻めの規模を体感することが出来ました。それにしても、竹ヶ鼻城の歴代城主は関城主になった長井道利、三木城主となった伊木忠次など、竹ヶ鼻城が重要な拠点であったのではないでしょうか。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-14)

今日は揖斐城跡に行って来ました。
美濃では好きな城跡で再攻城です。
三輪神社裏の案内板(右上写真)が登山口です。道はよく整備されています。しばらくして新しい貼り紙「熊の目撃情報あり」(右中写真)、こんなに人里近いところで、と半信半疑でいると前から来た中年女性がなんとその目撃者の方ではないですか!一ヶ月半前に親子連れの熊に遭遇したそうです。ゆっくり見て歩くつもりが、目的の枡形虎口(下左写真)、井戸跡(下中写真)、本丸の石柱碑(下右写真)を見て、早々に退散しました。遠景写真は太鼓曲輪から見た麓の街並みです。山城には熊はつきものですが、今年は異常ですね。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-10-09)

今日は一乗谷城跡に行って来ました。
「秋の一乗谷登山会」に参加です。
三万谷コースでの攻城、約30分で千畳敷跡手前の畝状竪堀(右中写真)に到着。さすが朝倉氏の城跡、100以上の畝状竪堀があるそうです。千畳敷跡には礎石(下中写真)があり、一段高い観音寺跡との間には土塁(下中写真)がありました。遠景(左上写真)は宿直(とのい)跡から朝一番で攻城した支城の槇山城跡方向です。途中、笏谷石の不動明王がある不動清水があります。最後には三の丸(右下写真)まで行き、朝倉氏の山城の大きさを堪能しました。帰りには一乗谷朝倉氏遺跡博物館に寄りました。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-30)

今日は美濃金山城跡に行って来ました。昔は兼山城と呼んでいました。
出丸から二の丸の破城された西面石垣(右下写真)を見て、武者走りの石垣(左下写真)に驚き、本丸に20分ほどで到着しました。本丸御殿のあった場所に礎石(右中写真)があり、天守相当の瓦葺き建物があったと想定される場所(右上写真)からは兼山湊、街並みと木曽川がよく見えました。(左上写真)は麓の兼山小学校とその向こうに明智の庄が一望できます。帰りは大堀切り(下中写真)を眺めながら、可成寺の森一族の供養塔を訪れました。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-27)

今日は加治田城跡に行って来ました。
信長の東美濃侵攻のきっかけになった佐藤紀伊守の居城です。古城山の比高170m地点に主郭があります。搦手口から登りを約40分で到着しました。主郭を中心に複数の曲輪群があり、虎口には石垣(左上写真)がありますが、森長可による改修だそうです。大手曲輪(右中写真)を挟んで竪堀(左下写真)があり、前方には堂洞城跡を見下ろすことができます。(右下写真)は古城山麓にあった佐藤紀伊守の居館跡(旧加治田小学校)です。2年ぶりですが案内板、登山道等たいへん整備されていました。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-24)

今日は大桑城跡に行って来ました。
前回ははじかみ峠から、今回は古城山登山口からです。「伝 岩門」を中心に石垣を見て廻りました。(下中写真)は岩門の巨石、岐阜城の巨石と同様、鏡石のような来城者には威圧感のあるものであったに違いないと思いました。(右中写真)は岩門付近の石垣。(右上写真)は伝 台所付近の石垣。(左下写真)は伝 天守付近の石垣。安土城以前の石垣です。(右下写真)は四国堀です。遠景写真は土岐氏を滅ぼした斎藤道三のいた岐阜城(稲葉城)方向です。美濃守護 土岐氏 最後の居館です。国史跡を目指しているそうです。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-18)

今日は妻木城士屋敷跡、妻木城跡に行って来ました。
3年ぶりの妻木城跡ですが、今回は士屋敷跡がメインです。
士屋敷跡の全景(左上写真)、蔵跡の石垣(右上写真)、井戸跡(右中写真)、御屋敷を取り囲む石垣(左下写真)。関ヶ原の戦いで、東軍に加わり7500の旗本になった妻木氏が陣屋として拡張したそうです。
(下中写真)は石垣のように見える巨石群、(右下写真)は十字形のくさびが残る巨石。堀切の付近にありましたが、妻木城はこのような花こう岩の巨石がゴロゴロしています。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-17)

今日は駿府城跡に行って来ました。
天守台発掘結果の説明会です。
本丸側に積み上げられた石垣(右上写真)
必見だったのは明治29年に取り壊された慶長期天守台、めったに見られない石垣内部の構造(裏込め石、石列、裏栗巻石、盛土)が見えました(中央写真)。築城時期の違う石垣と裏込め石(左下写真は慶長期天守台、右下写真は天正期天守台)。明らかに石垣、裏込め石の大きさ、形、量が違いました。
「どうする家康」に合わせ、機会があったら是非、行ってください。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-09-09)

今日は伊木山城跡に行って来ました。
新たな案内看板が整備されたと知り、久しぶりの攻城です。
西側の熊野神社から攻城です。途中、西曲輪から岐阜城(左上写真)を眺め、約20分で本曲輪に到着。南曲輪から小牧山(右上写真)がよく見えました。「小牧・長久手の戦い」を妄想。東曲輪から本曲輪への出入り口(左下写真)。裏込め石の石垣があるそうですが、不明。
構築は斎藤氏の対尾張防衛か、信長の東美濃侵攻か?
(右下写真)はキュピーの鼻から見た犬山城と対岸の宇留間城跡

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-07-02)

高天神城跡と六砦跡に行って来ました。
初日は講演会「高天神城の戦いと徳川家康」(高天神城を制する者は遠江を制す)を拝聴しました。
二日目はまず、一番高い小笠山砦跡から高天神城方向を眺めました(写真右上)。次は高天神城跡から見た火ヶ峰砦跡(写真下左の中央の小山)。次は中村城山砦跡(写真下中は南側口)。次は獅子ヶ鼻砦跡から見た富士山(写真右中)と廻りました。
家康の築いた六砦の包囲網により天正9年に高天神城が遂に落城しても無理はないと思いました。(写真右下)は東峰、本丸近くにある大河内政局の石窟

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-17)

今日は松倉城跡に行って来ました。現地説明会に参加しました。
なんと言っても一番は左上写真の「三の丸埋門」でしょう。4つの門柱のような巨石と通路には敷石、側には1.8mもある門柱に載っていたような石もありました。右上写真は三の丸隅櫓、櫓台の石垣と石段が見つかりました。右中写真は二の丸で見つかった礎石(新旧2時期)、左下写真は出枡形虎口、破城により両側の石垣が壊されています。左下写真は二の丸から見つかった「瀬戸美濃陶器」、「土師器の皿」、「産地不明の陶器の壺の破片」です。
気になるのは、埋門が姉小路(三木氏)の時代か金森氏の時代かです。
以前、攻城した時にブルーシートで覆われていた場所には素晴らしい遺構等がありました。
下中写真にあるように北アルプスの山並みが素晴らしく、30℃近い気温を忘れる時間でした。

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なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-06-10)

今日は小鷹利城跡に行って来ました。
飛騨市歴史講座「飛騨の山城に行こう」の3回目です。今回も有名な先生の解説付きです。
念願の小鷹利城跡です。「境目の城」として白川郷方面から保峠、湯峰峠を超えて古川盆地に攻めてくる敵を迎え撃つ重要な拠点です。右上写真は虎口から見える古川盆地です。中写真は主郭に見つかった建物礎石と城跡標柱です。いかに姉小路氏(向氏)にとって、この城が重要であったかを表しています。左下写真は主郭前の大きな曲輪です。周囲にある土塁で守られています。右下写真は主郭からみて白川郷側にある大きな畝状竪堀です。野口城跡も攻城しましたが、畝上竪堀がはっきりわかりました。飛騨地方の山城には畝上竪堀が多いですね。

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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