なべ

なべ()さん 大老 サポーター   フォロー

中部地方を中心にマイカー(ハスラー)で、城攻め中です。
1年間で走行距離が27000kmを越えました。
2年間で45000kmを越えました。最近は(列車+レンタカー)が増えました。
3年間で64000kmを越えました。絶好調です。
4年間で81000kmを越えました。最近はガイドしていただく攻城が増えました。
(令和6年6月1日追記)

なべさんのタイムライン

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-11)

今日は坂本城跡に行って来ました。現地説明会です。
朝、比叡山坂本駅に9時過ぎに到着しましたが、すごい列でした。3回目の13時半からの説明会に参加出来ました。
発掘現場は住宅地のど真ん中でした。道路計画の調査で見つかったそうです。いい機会だったので、湖畔の本丸にも行って見ました(右中、右下写真)途中、北国海道沿いにも坂本城跡の石碑(左下写真)がありました。湖畔の石垣は琵琶湖の水面が上昇し、見ることが出来ませんでした。
今後、石垣等の遺構がどのようになるか、楽しみであり、今回、見ることができたチャンスに感謝です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-04)

今日は木越城跡に行って来ました。
郡上八幡城の初代城主 遠藤慶隆(よしたか)の遠藤氏のゆかりの城跡です。登城口にある説明板と標柱の横から登りました。最初、登山道はハッキリしませんが、しばらく登ると整備された登山道が現れます。巨石が至るところにあり、虎口(右下写真)のような場所や石積み(下中写真)が見られます。なかなかの城跡です。麓を長良川が流れ、街道は東氏の篠脇城跡、阿千葉城跡に至る越前街道です。次回はもう少し時間をかけて周りたいと思いました。遠景写真は麓から見た風景です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-02)

今日は岐阜城に行って来ました。「山城と聖地」の続編です。
めい想のこみち(水手道)を10分ほど登ると丸山の伊奈波神社があったと伝えられている烏帽子岩(右上写真)がありました。さらに1時間登ると裏門を経由し、天守前の磐座(右中、右下写真)に到着しました。その近くには御嶽山信仰の祠がありました。遠景写真は山上から見た雪景色の白山が光っていて、神々しかったです。山上には上之権現の遥拝所があったとか? 小牧山の古城地図にも白山社があったとか?信長が白山信仰?
(下中写真)は31日に報道発表があった天守南通路の西側で「円礫、かわらけ」が見つかった場所です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2024-02-01)

今日は山城と聖地に興味があり、小牧山城跡に行って来ました。
信長の築城の条件として、美濃が見渡せる山上であること、信仰の場所であることにより視覚的にも精神的にも権威誇示できる場所が必要であったと思います。
小牧山は独立した山(約86m)で古くから宗教施設のあった山のようです。西側中腹に観音洞(右上写真、右中写真)というところがあり、信長が小牧山に城を築城するにあたって、北西の麓の地に移されました「間々観音」、(右下写真)はその間々観音から見た小牧山です。遠景写真は観音洞にある「間々乳観音出現霊場」の石碑です。下が岩場になっており、説明板にある子鹿が7つの石になり、母鹿は千手観音になったという伝承の雰囲気がありました。
(左下写真)は現在、復元中の石垣です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-17)

今日(1月17日)は安土城跡に行って来ました。
まさに天正4年(1576)に築城された月日です。というわけではなく、今日、開催された現地説明会に参加してきました。場所は天主台東面と本丸取付台中央部です。
(右上写真)は本丸取付台建物の礎石です。(右中写真)は火災により焼損した礎石らしいです。(右下写真)は天主台東面からの落石です。(左下写真)は東面から天主台の虎口付近の石垣です。(下中写真) は安土駅から降りた時に迎えてくれた信長像です。(遠景写真) は破城されたと思われる東面の崩落状況です。
時期は天正13年に八幡山城が築城され、廃城となった頃のようです。
3年ぶりの再攻城ですが、やはり素晴らしいオール石垣の城跡ですね。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-09)

今日(1月6日)は広見城跡に行って来ました。
なかなかの興味深い山城でした。案内図に従い、広幡町ふれあい広場に車を駐車し、広見川沿いに下集会所近くにある登城口(右上写真)まで10分ほど歩きました。地元ボランティアの方により整備された登山道を登り10分ほどで曲輪2に到着しました(右中写真)。その奥には土塁、堀切があり、帯曲輪(右下写真)につながっていました。さらに進むと虎口(左下写真)手前には石積み(下中写真)がありました。遠景写真は曲輪1です。
詳細は不明ですが、登城口にあった資料によると近くの八草城とあわせ、織田信長の直臣であった中条秀正が城主であったようです。なかなかの規模の山城で、織田信長の西三河侵攻に関係があるようです。

猫セブン 様
攻城メモ、たいへん参考になりました。ありがとうございました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2024-01-01)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年も犬山城の初日の出を見て来ました。天気も良く、気温6℃で素晴らしい「初日の出」で、多くの人出でした。
ふと、創建時の犬山城を見た昔の人々もある意味で、畏敬の念で見上げたことでしょうね。戦う城郭から魅せる城郭に変化した「現存最古の国宝犬山城」です。
昨年は美濃金山城の国史跡指定10周年にあたり「金山越し」に注目し、犬山城の創建について調べて見ましたが、創建が「小牧・長久手の戦い(1584)」の直後から始まり、小田原征伐(1590)に完成したらしいです。つまり、織田信雄時代(城主:中川定成、犬山城の登城口に石碑があり)から秀吉時代(城主:石川光吉)にかけて築城され、その後、唐破風は徳川時代(城主:成瀬正成)に改修されたようです。
以前は当初1、2階部分、その後、3、4階の望楼部分が増築されたと思っていましたが、「天守部材の年輪年代調査、修理工事報告書」によると1階から4階まで同時期に築城されたようです。また、美濃金山城(1600年、森忠政 川中島に転封により廃城)から移築(一部分)されたという伝承は否定できないようです。
写真は初日の出(7時1分) の犬山城です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-31)

今日は今年の締めくくりに犬山城へ歩いて行って来ました。約1万歩、1時間半の散歩です。
(右上写真)は犬山橋の岐阜県と愛知県の県境からです。木曽川を挟んで右に伊木山城跡のある伊木山が見えます。
(右中写真)は東側からです。
(右下写真)は南西からです。
(下中写真)は南西からです。
(左下写真)は下流にあるライン大橋からです。木曽川を挟んで鵜沼城跡のある城山(じょうやま)が見えます。
(遠景写真)は私が好きなアングルで木曽川の反対側からです。天気がいまいちでしたが、近くに来られたらお立ち寄りください。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-23)

今日は刈屋城跡に行って来ましたが、刈谷市歴史博物館に寄り展示史料に興味が湧き、於大の方ゆかりの城を攻城しました。
於大の方出生の地→緒川城跡(右下写真)、出生の碑がある緒川古城跡(下中写真)
7才までいた→刈屋城跡(右上写真)、本丸(遠景写真)
松平広忠と離縁後に住んだ→刈屋城跡の近くにある椎の木屋敷(右中写真)
久松俊勝に再嫁した→坂部城跡(右下写真)
特に刈屋城跡は尾張と三河の境川に面した素晴らしい城郭でした。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-16)

今朝8時半頃の犬山城です。
気温14度、木曽川から立ち込める霧が犬山城を雲海の城にしています。よく見ると木曽川の水面に犬山城が反射しています。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-11)

昨日は勝楽寺城跡にも行って来ました。
勝楽寺の六脚の切妻門(右上写真)の前に駐車しました。この門は勝楽寺城の城門(戌居門)を移設したそうです。正楽山ハイキングコースはタフでした。経塚、狐塚を越えて約40分で尾根筋に到着しました。幾つもの曲輪があり、主郭の見晴台方向は高い切岸(右中写真)のようでした。主郭の入口には巨石(右下写真)が転がっており、見晴台方向の虎口には石積(下中写真)が見られました。
尾根伝い(左下写真)に幾つもの曲輪と思われる平地を歩くと「上ろう落とし」と呼ばれている曲輪に到着しました。遠景写真は「上ろう落とし」からの近江の素晴らしい眺めです。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-10)

今日は八講師城跡に行って来ました。
梓河内の交差点を曲がり、八講師城跡入口から約4kmの林道を進みました。途中に伐採作業中の作業車が止まっていましたが、他の山の林道に比べると広いほうですね。登城口からの攻城です。約10分程で城域です。曲輪Ⅱの法面には曲輪の補強に用いられていたと思われる崩れた石積み(左下写真)が見られました。また、曲輪Ⅱでは発掘調査がされており、ブルーシート(下中写真)で覆われていました。ブルーシートを迂回し、曲輪Ⅰ(右上写真)に到着しました。中央には大きな巨石(右中写真)があり、「黄金の鶏の伝承」があるそうです。遠景写真は曲輪Ⅰから雲海の中に見えた電力鉄塔(写真中央にかすかに浮かんでいます)です。
(右下写真)は、このあとに攻城した物生山城跡で出会った猿です。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-06)

今日は清水山城跡に行って来ました。
JR湖西線 新旭駅から歩きました。北国街道を横断し大手道からの登城です。東屋敷の入口にはかなりの数の阿弥陀石仏(右下写真)がありました。さらに土塁に囲まれた東屋敷(越中殿)を通りすぎ、主郭手前の畝状空堀群(右上写真)がありました。信長戦に備え、朝倉氏により改修されたとのことでした。主郭(右中写真)に登るとL字型の奥に礎石があり御殿があったようです。曲輪は3方向(東南、南西、北西)に放射状にあり、堀切、畝状空堀(下中写真)で防御されていました。帰りは西屋敷(加賀殿)の土塁に囲まれた屋敷跡をぬけ大手道(右下写真)を通り、下りました。巨大な山城でした。
遠景写真は主郭から琵琶湖、伊吹山方向です。素晴らしい天候でした。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-04)

前々日に長光寺城跡に行って来ました。2回目の攻城です。
一ヶ月前に登城口が瓶割山の日吉神社ということで行きましたが、途中で道路は進入禁止。獣防止柵で徒歩でもダメで諦めました。帰宅し、先人の攻城メモをよく読むと瓶割山には日吉神社は二ヶ所あると丁寧に説明してあるではないですか!
今回は北側の日吉神社の裏にある登山口(右上写真)から攻城、20分程で分岐点(右中写真)に到着しました。さらに進むと瓶割山山頂(右下写真)に到着しました。一の郭(下中写真)は広く、南西側の石垣(左上写真写真) は高さ4mもある素晴らしいものでした。この石垣は近くの観音寺城に関連したものでしょうか?先日、攻城した佐生城といい、観音寺城を中心に石垣を採り入れた城跡が多いのが気になりますね。
既存の山岳寺院を取り込んだ結果でしょうか?

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-12-03)

今日は小堤城山城跡に行って来ました。
希望ヶ丘文化公園の西駐車場に車を止めました。アスレチック・グランドゴルフ事務所脇の登山道を通り、東枯沢登山口(右上写真)から攻城です。沢に沿って登って行くと石垣(右中、右下写真)がありました。城山山頂の手前に直登のロープ(下中写真)がありましたが、ここは右に迂回し虎口、堀切を経由し、1時間程で小堤城山城跡の碑(左下写真)に到着しました。途中で鏡山への登山道もあり昨日、攻城した星ヶ崎城跡との関連も興味がありますね。
遠景写真は近江富士(三上山)と麓の希望ヶ丘文化公園の芝生グランド、競技場などです。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-26)

今日は柏原城跡(徳源院)と太尾山城跡(青岸寺)に行って来ました。
最初に徳源院(右上写真)に行きました。境内に入ると佐々木導誉が植えたといわれる導誉桜(右中写真)があり、清瀧山を借景とした池泉回遊式庭園(遠景写真)は素晴らしい庭園でした。次に太尾山城跡に行きました。青岸寺脇の登城口から30分程で盗人岩に到着。琵琶湖の眺めがよい景色です。(左下写真) さらに進むと別城一郭の北城に到着。土塁(下中写真)が残っていました。下山して青岸寺の雪吊り作業中の枯山水式庭園(右下写真)をコーヒーを飲みながら眺め、晩秋の素晴らしい庭園を堪能しました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-24)

昨日は久々利城跡に行って来ました。
美濃守護大名土岐氏の一族久々利氏の拠点です。居館のあった麓を土岐につながる五斗蒔街道が通り、近くには古窯跡が多く残っています。登城口から入ると枡形虎口(右上写真)があり、三の丸、二の丸、本丸間は高い切岸(右中、遠景写真)で防御されています。また、土橋を経由し見晴台(下中写真)があり、尾根は二重に堀切(左下写真)があります。コンパクトながら、興味ある詰城です。これらいくつかは美濃金山城主 森氏に滅ぼされた後に美濃金山城の支城として改修されたと考えられるそうです。
午後から「考古学からみた美濃金山城」の講演会(右下写真)に参加しました。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-22)

今日は小牧山城跡に行って来ました。
第4区発掘調査の現地公開です。(11月22日~24日)
指定された小牧市役所に駐車し、小牧稲荷神社を経由し15分程で調査現場に到着しました。主郭の南側の帯曲輪022,023が(右上、中、下写真)でした。石垣、裏込め石、礎石、玉石敷、排水路が検出されており建物があったとのことでした。瓦は見つかっておらず、板葺き、茅葺きであったそうです。
前回の攻城時には修復中であった主郭北側の段築石垣(下中写真)、主郭西南側の石垣(左上写真)は修復されており、素晴らしい眺めでした。主郭の南側の石垣は修復の最中でした。
信長は小牧山城には4年しかいなかったそうですが、先日、攻城した岐阜城(稲葉山城)と規模の違いは明らかでした。なお、今回の公開現場は来年には埋め戻されるそうです。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-20)

昨日の岐阜城の続きです。
七曲り(右上写真)からの登城です。40分程で一の門(右中写真)に到着。門の付近には巨石が転がっていました。次に二の門手前の斉藤氏時代の石垣(右下写真)と信長時代の石垣(下中写真)と見比べが出来るのは嬉しい。残念ながら、目的の天守南西部の信長時代の石垣、天守東側の石垣等は確認出来ませんでした。(埋め戻されていたり、シートで保護されていて)
昨日は岐阜市歴史博物館で開催されている「天下統一」(左下写真)の最終日でした。歴代城主、ゆかりの武将の紹介、「信長公記」(判りやすい字体でした)など見ごたえがありました。
遠景は寒いなか、観光客で賑わう天守付近です。皆さん、ほとんど、ロープウェイ利用。観光資源と国史跡の保存、バランスは難しいですね。

なべ

なべさん が最近のひとことを更新しました(2023-11-19)

今日は岐阜城に行って来ました。特に信長の居館を見て廻りました。
左右を菊人形で飾られた冠木門(右上写真)から入りました。待っていたのは巨石に囲まれた枡形虎口のような通路(右中写真)です。さらに進むと巨石(保護のためシートがかけられています)を背景にした庭園です。池の中央に景石を配置(下中写真)した立派なものです。この池を眺める位置に金色の建物があったらしいです。別の池には岩盤(左下写真)上を滝が流れていたそうです。(右下写真)は斉藤氏時代の石垣と階段です。
遠景は居館の全体です。8つの庭園があり、うち5つには池があったそうです。信長は此処から七曲りを通り、天守に登城したそうです。

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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