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【戦国軍師入門】秀吉の四国征伐――官兵衛の策略でスピード勝利
秀吉による四国征伐において大活躍したのが黒田官兵衛でした。彼は大軍である利点を最大に生かして、兵力をむやみに分散せず、攻めるべき城も選んで、わずか3か月ほどで長宗我部元親を降伏させることに成功します。
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【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台③――長宗我部元親の策略と、それを見抜いた黒田官兵衛・植田城
いずれ降伏するにせよ、交渉を少しでも有利に進めるために合戦に勝利しておくというのは重要です。この植田城での戦いが回避されてしまったことで、秀吉の当初の条件である「土佐・阿波を安堵」(元親は伊予一国を返還で交渉)から、結果として土佐一国のみとなりました。
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父・国親は「野の虎」とまで称された武将でしたが、その子どもである長宗我部元親は当初「姫若子」と軽視されていました。しかし初陣で活躍すると家中の評価も一変し、その後は父以上の才覚を見せて勢力を拡大していきます。
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土佐の風雲児、長宗我部国親が活躍した時期はちょうど「麒麟がくる」前半と重なる!
近年「本能寺の変」の原因のひとつとして挙げられることの多い「四国政策説」ですが、長宗我部元親と織田信長のパイプ役を担っていたのが明智光秀で、信長の方針転換により面目を失ったため(また出世争いから脱落したと自覚したため)謀反を起こしたとされます。その長宗我部氏が勢力を拡大していくのがちょうどドラマと同時代でした。