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【10/5、鹿児島県姶良市】姶良公民館で講演会「戦国島津は本当に『強い』のか ~政・軍 両面から見るその実像~」開催 - お城ニュース by 攻城団
10月5日(土)、姶良公民館(鹿児島県姶良市)において講演会「戦国島津は本当に『強い』のか ~政・軍 両面から見るその実像~」が開催されます。参加無料、事前申込不要。
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こうして島津家の歴史を振り返ってみると、島津忠良(日新斎)にせよ、島津忠恒にせよ、本家・嫡流以外が宗家を継いでいるんですよね。嫡子がいなかったとはいえ、一族を見渡して優秀な人材を後継者に任命してきたからこそ幕末まで生き残れたのかもしれません。
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朝鮮の役で朝鮮・明軍から「鬼石曼子(グイシーマンズ)」と恐れられ、関ヶ原の戦いでは見事な退き口で東軍に衝撃を与えた義弘でしたが、もし当初の予定通り彼が伏見城に入っていたら、籠城する鳥居元忠たちと討死していた可能性が高そうです。
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この時点の秀吉に対抗できる勢力はもはや日本国内には存在していなかったと思いますが、それでも島津家はかなり激しい抵抗をしています。 それもあってか降伏後の秀吉の処遇は次の北条氏と比べるとかなり差がありますね。
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【10大戦国大名の実力】島津家③――島津四兄弟による九州統一戦
三州の覇者となった島津家はそのまま九州統一に動きます。個性の異なる兄弟が各方面で活躍することで大友氏や龍造寺氏を倒し、勢力を拡大しましたが、彼らが得意としていたのが「釣り野伏せ」と呼ばれる囮戦術でした。
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【10大戦国大名の実力】島津家②――島津忠良の相州家継承と貴久の島津宗家継承
島津家中興の祖・島津忠良は島津氏の分家である伊作家の出身です。彼が息子・貴久を島津宗家の養子にしたことで島津家の躍進が始まります。忠良が息子を後見するため出家して日新斎を名乗ったのはまだ33歳だったんですね。
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【10大戦国大名の実力】島津家①――リーダーシップはどうあるべきか
鎌倉時代から江戸時代まで薩摩を支配しつづけた島津家の歴史は戦乱からはじまります。一族内の争い、周辺の伊東氏や相良氏、肝付氏らとの争いと常に戦いの中にあった印象です。
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