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本多家(本多三弥左衛門家、三弥家)

本多家(本多三弥左衛門家、三弥家)の歴史

本多正信の弟の正重から出た家系。
下総国舟戸藩1万石に始まるが、正重の死去の際に2千石を減封されて廃藩、一時は旗本に降格された。
しかし、4代・正永のときに寺社奉行となり加増を受け、再び舟戸藩を立てて譜代大名に返り咲く。その後、上野国沼田藩2万石に転封、さらに6代・正矩のときに駿河国田中藩4万石へと転封された。
12代・正訥は幕末期、昌平坂学問所の初代奉行を務めた人物である。この正訥のときに田中藩が駿府藩に編入され、安房国長尾藩4万石を立ててそこに移った。正訥は版籍奉還を経て、長尾藩知事になっている。

このページに記載してある内容の大半は 榎本事務所に寄稿していただきました。ありがとうございます!
   

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戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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