野崎城より飯盛城に向かう飯盛山ハイキングコースの前半部分にある清流で、せせらぎの音を聞きながら休憩できます。この先にコース毎の分かれ道があるので、注意してください。
野崎城より飯盛城に向かう飯盛山ハイキングコースの前半部分にある清流で、せせらぎの音を聞きながら休憩できます。この先にコース毎の分かれ道があるので、注意してください。
ここから連続で10回ほど道が曲がります。
貯留量9000㎥、貯留面積3000㎡のため池で、老朽化で堰堤がひび割れ、鉄砲水が出るなど危険だったそうですが、平成15年(2003)に改修され、安全になっています。
ここから絵日傘峠手前まで階段が続きます。
貯留量は6000㎥、貯水面積は2000㎡で、平成11年(1999)に老朽化のため改修工事が行われたそうです。
貯留量4000㎥、貯留面積2000㎡で、平成13年(2001)に改修されたそうです。
貯留量が最大で81000㎥、貯水面積は3000㎡で、平成18年(2006)に改修工事が行われたそうです。奥に見える浮島は人工的に作られており、水に浮くイカダ状の枠の中に人工土壌を入れ、水生植物を植栽したものだそうです。
飯盛城の馬場があった場所と言われています。楠木正行をはじめ「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために開山され、昭和25年(1950)に飯盛山妙法寺改め楠公寺としたそうです。
楠公寺の急階段を登った先にあり、八大龍王が祀られています。
飯盛城跡の尾根筋のほぼ中央部で、最高所(標高314m)となる高櫓郭と呼ばれる主郭。現在は楠木正行像が建っています。
千畳敷郭と高櫓郭の間の堀切に、明瞭な形式の土橋が残っています。両側面の堀切は土が堆積し斜度も緩くなり、木や草が生い茂っていますが、当時は絶壁で高櫓郭の守りを固めていたそうです。
千畳敷郭南方、南丸の直下にあり、飯盛城の南門にあたります。左側の斜面は南丸の切岸で、その上辺には南丸の土塁が構えられています。
高櫓郭北下の道沿いの斜面には、長い石垣の壁が見られます。
本郭より大阪市内を望む。
展望台のある曲輪で、大阪市内を一望できます。
御体塚郭は、三好長慶の遺体を埋めた事から名前が付けられているそうです。
御体塚郭と二の丸史跡碑郭の間は、巨大な堀切で隔てられています。
飯盛城の石碑のある曲輪で、ベンチがあるので、大阪市内の景色を見ながら休憩できます。
二の丸史跡碑郭より大阪市内を望む。
飯盛城の立て札があり、畿内を治め三好長慶が居城した事が伝えられています。
飯盛城の登城口がある神社で、正平3年(1348)、楠木正行は四條畷で高師直と戦い戦死。その四條畷の戦いを記念して建てられたそうです。
四條畷神社のすぐ脇にある登城口で、ここから頂上まで1.5kmほどあります。
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