吉川元春と息子2人の墓
史跡吉川氏城館跡(昭和六十一年八月二十八日指定)
吉川元春の墓
吉川元春は一五八六年(天正一四)豊臣秀吉の要請により九州の小倉へ進攻した時に五十七才で病没した。遺骨を此の地に帰し送葬し隋浪院殿前駿州太守四品海翁正恵大居士と号す。
又、左に隣接しているのは、元春の長男元長の墓で、一五八七年(天正十五)に宮崎県日向において四十才で病死したものである。
元春に同じくこの地で送葬し萬徳院殿前禮部中翁空山大居士と号す。
なお、右に離れている墓標は元春の四男で早世した禅岑法師の墓と言われているがさだかでない。
吉川家が岩国へ移封された後は一時期荒廃したが、一八二七年(文政十)に修復され、玉垣・石燈ができた。
更に一九〇八年(明治四一)の追贈に際し改修が行われ現在に至っている。
館のそばに石の切出し場所があります。
「石つき之ものとも」と呼ばれたものたちによるこの地方独特の積み方です。厳島神社にも同様の石垣があります。
広々として気持ち良い場所です。
ところどころに縦石が入っているのが分かります。
展示室にあります。正面の石垣が立派でその他の面は土塁となってます。
正面石垣が壮大です。
吉川元春と息子2人の墓
吉川元春の館跡の奥にあります。
池の後ろに三尊石と滝石組があります。
館の石垣としては大変立派です
途中途中に縦積みの大きな石がある
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