左右に馬屋が配され、その奥に土橋が架かる堀切、そして枡形虎口と見どころが続きます
右手が主郭
北壁と西壁の石積みは現代に積み上げられたものですが、基底部は元から残っていたと伝えられています(山鹿市教育委員会リーフレットより)
主郭側より撮影
案内板より抜粋。3本ある堀切のうち最上部(東側)のものは、草木に覆われ確認できませんでした
平成5年、地元上永野地区により柳川市の福厳寺から移設された柳川隈部氏の墓塔群です。柳川隈部氏初代は親永の祖父の弟から出たと伝わっています(山鹿市教育委員会リーフレットより)
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