大別当城
大別当城

[岡山県][美作] 岡山県勝田郡奈義町高円


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.00(--位)
  • 見学時間:38分(--位)
  • 攻城人数:10(3405位)

大別当城跡の縄張図

奈義町役場産業振興課が作成した大別当城の縄張図を紹介します。
この内容は大別当城跡に設置されている案内板に記載されています。

提供:奈義町役場産業振興課


大別当城跡(おおべっとうじょうせき)

 大別当城跡は、大別当山の尾根伝いに残る中世の山城跡です。

 南北に細長い山頂部に曲輪(くるわ)がいくつも並ぶ連郭式(れんかくしき)と呼ばれる構造で、堀切(ほりきり)も確認できます。東西は急峻な斜面で、自然の地形を巧みに利用しています。

 展望台からは、町内に残る山城をはじめ、津山市、美作市の山城も遠望でき、群雄割拠の緊張感を偲ばせる遺構です。

 また、麓のイムラ遺跡(高円構)は、城主、家臣団の暮らした跡と伝わっています。
奈義町役場産業振興課

   

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図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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