あいにく月曜日は休館日のため、拝観することができず。御城印も頂戴できませんでした。
本丸跡に鎮座している青山神社の拝殿です。 御祭神は、篠山藩主青山氏の遠祖青山忠俊と第4代藩主・青山忠裕です。
青山忠誠公は第5代藩主・青山忠良公の10男で、兄の6代藩主・青山忠敏公が亡くなった後に家督を継ぎました。 「青山忠誠公頌彰碑」説明板より一部抜粋 明治8年、旧藩士子弟を東京に招き、学費を給し進学させ、邸内に寄宿舎を設け尚志館のもとを開いた。 明治9年に篠山中年学舎を設け、人材の育成に努め、鳳鳴義塾(現・県立篠山鳳鳴高校)の基礎を築いた。
以下、説明碑より 天守台は本丸(殿主丸)南東部の城内で最も高く、奥まったところに位置し、石垣の高さは約17m、平面規模は東西約18m、南北約20mであります。 築城(1609)時に、天守閣は江戸幕府の指示により、城郭が堅固すぎるとの理由で建築を中止し、代わって、南東隅に二間四方(4m四方)単層の隅櫓を配置し、東面と南面に土塀をめぐらせていました。 東方には丹波富士と呼ばれる中世の山城である高城山(八上城跡)が美しい姿を見せております。
丹波富士と呼ばれる中世の山城である高城山(八上城跡)が見えます。
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