機種名 | Canon Canon PowerShot SX720 HS |
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ISO | 80 |
F値 | 4.0 |
ホワイトバランス | オート |
シャッタースピード | 1/202 |
レンズ焦点距離 | 7.8 mm |
フラッシュ | フラッシュ未発光、強制発光モード |
露出モード | 自動露出 |
露出時間 | 1/200 |
画像方向 | 水平(標準) |
なぜ閉(と)ざされた
不明門(あかずのもん)
本段(ほんだん)に上(あ)がる入口(いりぐち)として防備(ぼうび)を高(たか)めた大型(おおがた)の城門(じょうもん)です。本段(ほんだん)には藩主(はんしゅ)が暮(く)らす御殿(ごてん)(江戸城(えどじょう)でいう大奥(おおおく))があり、限(かぎ)られた人(ひと)しか入(はい)れませんでした。江戸時代(えどじだい)、藩主(はんしゅ)の移動(いどう)は天守(てんしゅ)近(ちか)くにあった渡(わた)り廊下(ろうか)で行(おこな)われたといいます。よってこの門(もん)は普段(ふだん)閉(と)ざされ、不明門(あかずのもん)の名(な)があります。
門(もん)は明治時代(めいじじだい)に取(と)り壊(こわ)されましたが、昭和(しょうわ)41年(ねん)(1966)に外観(がいかん)が再現(さいげん)されました。池田家文庫絵図「牙城郭櫓実測図」(岡山大学附属図書館蔵)より 門の外側から見た図
もともとは茅葺の建物でしたが戦火で焼失してしまい、その後岩国吉川邸を移築したものだそうです。
景観条例や外周の竹林などで借景となる奥の操山まで近代建築が見えにくいようにして往時の景観を保っています。
北東側には田畑や茶畑が残されており、田植え祭りや茶摘み祭りが毎年行われています。
後楽園の南門から月見橋をわたり岡山城行くことができ、入場券を示せば後楽園に再入場が可能です。 (後楽園が閉園した場合でも外周を回って後楽園駐車場に戻れます。)
月見櫓の下あたりに碑があります。 戦国や幕末に活躍された方ではなく明治生まれの剣道の先生だそうです。
武将隊の皆さんに写真をお願いしたらポーズをとってもらえました。 左から「明石掃部(全登)」・「豪姫」・「宇喜多秀家」・「戸川秀安」さんです。
城外側に設置されている案内板です。 中の段にも廊下門の案内板があり内容も異なっています。
表書院の案内板は北側と南側に2つ設置されています。 本文は変わらないのですが「間取り図」が南北逆に描かれているのと模型の写真も北側から南側からと異なっています。
表書院跡は礎石などは埋め戻し、ブロックなどで間取りを表示しています。 写真中央の4つの〇は竈の跡を表しています。
中の段に設置されている案内板です。 城外側にも廊下門の案内板があり内容も異なっています。
食糧庫だそうです。
月見櫓の横です。
現在フェンスの後ろに隠れています。
多門櫓の案内板も複数あり内容も異なります。
宇喜多秀家時代の石垣は2カ所で見られます。
大納戸櫓跡から撮影
表書院の案内板は北側と南側に2つ設置されています。 本文は変わらないのですが「間取り図」が南北逆に描かれているのと模型の写真も北側から南側からと異なっています。
明治29年に本丸に旧制岡山中学校(現:岡山朝日高校)が移転してきました。昭和28年に再移転後、烏城公園として現在に至っています。 その痕跡が不明門の鏡石に残っています。
現在の石垣の間にある入口は改変されたものでもとは左にある付櫓(塩櫓)が本来の入口です。
天守内でも上映されていますが、不明門の2階櫓部分では約19分のフルバージョンが上映されています。(毎時00分、30分上映開始です。)
鯱に鬼瓦、軒丸瓦に金箔瓦が使用されています。
鯱に鬼瓦、軒丸瓦に金箔瓦が使用されています。
天守の付櫓で本来の天守入口はこちらになります。
望楼型、層塔型天守を岡山城、津山城の天守型ブロックを積み上げる事で学習できます。(右奥は岡山城天守)
望楼型、層塔型天守を岡山城、津山城の天守型ブロックを積み上げる事で学習できます。
望楼型、層塔型天守を岡山城、津山城の天守型ブロックを積み上げる事で学習できます。(写真は付櫓と入母屋造り部分までを組み立てた状態です)
魔除けの意味があるようです。
今回の改装で岡山城が変わったことの一つで、内部だけですが最上階の窓が華頭窓になっています。
後ろの壁紙の事です
2021/3/30に復元された建物です。 登城する藩士のお供が待機する場所になります。
岩盤の上に石垣がつくられています。
本丸下の段を仕切っていた中門がありました。
供腰掛の内部には岡山城の櫓についての案内板がありました。
左から大納戸櫓跡、鉄門跡になります。
中門跡から撮影。 石垣の上には正面左から不明門、多門櫓、三階櫓と続き、北東に石垣が折れた中程に干飯櫓がありました。
手前の石垣から櫓門が渡っており、奥の案内板付近に高麗門が建っていました。
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