伊勢上野城
伊勢上野城

[三重県][伊勢] 三重県津市河芸町上野


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.95(--位)
  • 見学時間:39分(--位)
  • 攻城人数:172(567位)

伊勢上野城案内板

伊勢上野城案内板
ならくま

戦国の世を生き抜き、江戸幕府3代将軍の母となった「江」
ゆかりの地 上野城へようこそ

 上野城跡は、東西約250メートル、南北約550メートルの規模で、城の主郭の周囲には、かつて土塁や堀切りで区画された郭が取り巻き、主郭の東側には幅が20メートル近い空堀があったといわれています。
 主郭の広さは約30×45メートル、その四隅には今もところどころに土塁が残ります。
 上野城の築城時期は明らかではないですが、天文17(1548)年の記録に分部氏から三間氏にこの城が預けられたことが記されています。
 その後、永禄11(1568)年に織田信長軍による伊勢侵攻があり、信長の弟信包が一時この城に入り、分部氏は信包に仕えました。信包が天正8(1580)年に安濃津城(津城の前身)に移ると、分部氏が入ったと考えられます。その信包が治めた頃、お市とその娘の三姉妹(茶々、初、江)がいたといわれています。
 文禄3(1594)年に信包が近江に移った後は、分部氏は豊臣秀吉、徳川家康に仕えて加増を重ね大名となりましたが、元和5(1619)年に近江国大溝(現在の滋賀県高島市)へ転封となり、それとともに廃城となりました。 

   

この写真をいろんなキーワードで分類してみましょう。

  • まだ登録されていません

カメラ情報

機種名DoCoMo P06C
ISO
F値
ホワイトバランス
シャッタースピード
レンズ焦点距離
フラッシュ
露出モード
露出時間
画像方向水平(標準)

伊勢上野城のほかの写真

すべてを表示

ならくまさんのほかの写真

すべてを表示

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る