梅翁曲輪(民家や道などになっています)から濠を渡って西曲輪に入る虎口です。新府城同様に手前に低い土塁、奥に高い土塁の桝形になっています。
こちたも城外側が低く、城内側が高い土塁で枡形を形成しています。
数段にわかれていました。
発掘調査中でした。 また、写真右側手前二つ目の山が要害山城です。
堀も深く、土塁も高いです。土塁の下には石積が見えました。
館の鎮守のための稲荷曲輪があったと推定されています。
遺構なのか後の農地の石積なのかわかりませんが撮影
この公園の北側に隠居曲輪が広がっていたそうです。
城の東側でここから神社境内(東曲輪)の駐車スペースに停めることが当日できました。
もともとはここに入口は無く1919年に神社が創建された時に石垣を崩して作られたそうです。
城の東側が大手になり馬出や虎口、土塁、堀が復元されています。
綺麗に復元されています。
甲府駅南口にあります。
武将ボランティアガイドさんスタンバイ中です。
城下の武家屋敷の配置がよくわかります。 武田神社への道中にも武将の屋敷跡の碑がちらほらありました。
宝物館内は撮影禁止でしたので看板で
西曲輪への虎口から
要害山城もここと同じく門部分に石垣を使用していました。
アクリル板が汚れていてよく見えないです。
城外側が低く城内側が高い土塁で造られています。
南門の案内板よりは幾分見やすい。
発掘調査中でした。
堀底の土塁の下には石積が見えました。
稲荷曲輪は周辺より少しだけ高くなっています。
大手跡に平面表示されています。
武田氏時代は丸馬出だったようですが、埋められその上に角馬出のような石塁が作られたそうです。
武田氏時代は丸馬出だったようですが、埋められその上に角馬出のような石塁が作られたそうです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する