お知らせ 詳細
山麓の歴史民俗資料館展示資料。入口脇壁面に掲示してあるので、入館しなくても確認できますσ(^_^;)出丸が駐車場になっていて、ここまでは車で上がれます。
美濃金山城郭推定略図(みのかねやまじょうかくすいていりゃくず)
「美濃金山城郭推定略図」は「金山城跡本丸趾推定平面図」と同じく『史蹟 美濃金山城趾』に掲載されています。昭和48年4月に荒井金一氏が書いた図面で、東腰曲輪から出丸までの範囲と北側の町場の付属建物が含まれています。登城路は出丸のやや東側から北側の愛宕神社までが想定されています。本丸・南腰曲輪・二の丸等の周りは土居(どい)が構築され、三の丸部分には厩(うまや)跡、南腰曲輪は武具櫓があると想定され、水の手部分は水を得るための道が想定されています。
解体した櫓などの木材を筏に組んで、麓の木曽川に流し犬山築城に利用した……という言い伝えは、ありえそうな事なんですけどね…。犬山までは直線で20㎞足らず。
この規模の山城にしては、広めの桝形です。桝形遺構は、この下の三の丸と西腰曲輪の間にある水の手口にも、しっかり確認できます。
二の丸も本丸と同規模の広さです。ここからの眺望は素晴らしく、うっすらと尾張富士が望めました。また北側には南腰曲輪の高い土塁があり、山城感満載です(^-^)
……先にこれを見ておけば、東腰曲輪ももう少し散策できたのに……!
この辺りの石垣は崩落も少なくしっかり残っています。椿の花が満開で辺りは良い香りがしてました。
天守台の上から撮影。桝形なのか穴倉なのか判別できませんでした。因みに天守台には烏竜神社拝殿が残ってます。社殿は山麓に移設されたそうですが、拝殿だけ残ってます。
二の丸から上がったところにある入り口は現在のもので、本来は数m先のこの場所に石段があったそうです。崩落して近づけませんでした。
ここから少し上がったところにも、崩落した石垣が確認できます。
この出丸へ向かう少し手前に展望台があり、可児市・美濃加茂市一帯だけでなく、尾張富士まで遠望できました。
山麓の歴史民俗資料館展示資料。入口脇壁面に掲示してあるので、入館しなくても確認できますσ(^_^;)出丸が駐車場になっていて、ここまでは車で上がれます。
こちらも歴史民俗資料館展示資料。攻城してからこの資料館に立ち寄ったので順番を間違えましたね!写メに撮ってから攻城したほうが見落としもなかったのに……(~_~;)
本丸についての説明。昭和40年台初期に発掘作業されていたんですね。
……先にこれを見てから攻城したかった……(~_~;)
……つくづく先にこれを見なかった事が悔やまれます(~_~;)
三の丸北曲輪の位置がわからなかった…
歴史民俗資料館展示資料、先に写メしてから登城下さい!私みたいに後悔しないでね……
城下の旧道側(東側)からみると平屋建、西面から見ると3階建。白壁と梁・柱・杉戸の茶色が良いコントラストで美しい建造物です!(≧∇≦)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する