春日門跡
春日門跡は、松山城下町の出入口にあたる西口関門から続く大手筋正面に位置します。現在、門跡には虎口(出入口)を構成する東西2つの石垣積の櫓台が残っています。東櫓は東西4m以上、南北10m以上、高さ約6mの規模を持つ櫓台の南西隅に一段低く、東西約4m、南北約7m、高さ約2mの櫓台が取り付きます。西櫓台は東西約6m、南北11m以上、高さ約4mを測ります。
大宇陀町教育委員会による調査の結果、春日門の築造は16世紀末から17世紀初頭にあり、松山城下の建設時に町人地と武家屋敷・城館とを分かつ虎口として造られたことが明らかとなりました。また、現存する櫓台は17世紀後半の織田家宇陀松山藩時代の向屋敷・上屋敷(藩屋敷)造営に伴う再構築であることが判明しました。
築造当初の春日門は、現在とは異なり南北約10.5m、東西4m以上の東櫓台南端の西へ付け櫓がつく構造をとっています。西櫓台については、現在と同様な規模・構造をとるものと思われます。門は、東櫓(付け櫓)と西櫓の間と、櫓間を通り抜け、左折れした所の2ケ所に位置すると考えられます。
この段階の春日門東櫓は、大手筋を貫いた視線が集中する位置にあり、櫓台の規模の大きさからして松山城下町の象徴的な建造物であったのでしょう。
大宇陀町
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