木舟城跡について
この城は寿永三年(1,184年)石黒太郎光弘の築城と伝えられ、その後 上杉氏 前田氏の居城となり、城下町も発展したが、天正十三年(1,585年)十一月大地震により崩壊した。
当時の木舟城は、本丸が東西六十間(一間約1.8メートル)南北七十五間、二の丸 東西四十五間 南北五十間 三の丸 東西三十間 南北六十間で、その廻りに幅五十間 三十間 十五間の堀があり深沼の中の砦といった要害の地であったようである。
現在その殆んどが田畑となっており、もっとも高い所で四メートルの小丘、本丸とみられるところは一.五メートルと、その姿をとどめているに過ぎない。
時あたかも木舟城築城八〇〇年、崩壊四〇〇年の奇縁の年であり、これを記念し、石碑を建立して永くその名を留め、文化財としての価値を高め、保護に資するものである。昭和四十年十月 県指定史跡となる
昭和六十二年夏 建之
福岡町教育委員会
木舟城跡保存会
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