⑤あとがき
魚津城(うおづじょう)は、江戸時代(えどじだい)の一国一城令(いっこくいちじょうれい)(1615年)により城郭(じょうかく)が、また明治時代(めいじじだい)の廃藩置県(はいはんちけん)により堀(ほり)と石垣(いしがき)が破却(はきゃく)されてしまい、現在(げんざい)その姿(すがた)を残(のこ)すものはほとんどありません。魚津城址碑(うおづじょうしひ)の下(した)にある石積(いしづ)みや「たてもん祭(まつ)り」で有名(ゆうめい)な魚津諏訪神社境内(うおづすわじんじゃけいだい)の玉垣(たまがき)が魚津城(うおづじょう)の石垣(いしがき)であると言(い)われています。また、小学校正門横(しょうがっこうしょうもんよこ)の「ときわの松(まつ)」は、上杉謙信公(うえすぎけんしんこう)お手植(てう)えの松(まつ)と伝(つた)えられています。
松倉城塁群地形模型
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