お知らせ 詳細
九鬼家の廟所にある奥津城の配置図で、奥津城(おくつき)とは、神道の墓所のことだそうです。
慶安3年(1650)に全焼するまでは、この場所に陣屋があり、全焼後の翌年に南側の丘陵上に移転、再建されたそうです。
陣屋の外郭部にあたる場所で、綾部小学校には大手門で使われていた部材が保管されているそうです。
陣屋の内郭部にあたる場所で、現在は大本教本部の長生殿が建てられています。
大正6年(1917)の貞明皇后の行啓の際に、馬車が通行できるように郡役所前の急坂が切り下げられ、皇后がここを通った事を記念して「皇后坂」と呼ばれているそうです。右側に大手門跡の石垣が残っています。
綾部陣屋に残る数少ない遺構の1つで、せんだん苑みなみこども園の西側道路(皇后坂)にあります。
大手門跡から西にある綾部藩を治めた九鬼家の菩提寺で、境内には綾部藩主9代並びに明治の九鬼家当主や室もあわせた廟所があります。
九鬼家の廟所にある奥津城の配置図で、奥津城(おくつき)とは、神道の墓所のことだそうです。
隆興寺の境内にある九鬼家の廟所で、綾部藩主9代並びに明治以降の九鬼家当主が祭られています。
綾部小学校の陣屋跡付近にあり、武家屋敷のような住宅が残っています。
綾部小学校の北側にある数少ない遺構の1つとなっています。
綾部小学校の北側にある数少ない遺構の1つとなっており、陣屋土塁から少し北にあります。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」の予習として手に取りました。本書は2003年に出版された本の再刊行となっており、その当時著者が学生向けに書いている本なので大変読みやすいです。内容的には、東国で起こった平将門の乱から北条氏中心の体制に移行するまでが解りやすく書かれています。勉強会で使用している高校の日本史教科書で中世が院政の始まりからになっていることがこの本を読んで理解出来ました。また、頼朝が征夷大将軍を欲した訳が2004年に「山槐記」の記事が新たに発見されたことにより変更されているようですが、この著書は2003年に書かれた内容なのでその部分は修正が必要とのことが最後に書かれているので、最後まで読まれることをお勧めします。前述したように学生向けに書かれた本なので、歴史初心者の方も安心して読める一冊だと思います。
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