天気に恵まれると映えますね。
週刊日本の城を見てみますと、幕府に遠慮した仙台藩にとって、この懸造が城下を一望できる建物だったようです。現存していたらなあ。
本丸詰所跡付近から撮影。
定番中の定番。伊達政宗公です。
本丸にあります。
大手門跡付近より
現存建築物です。
天気に恵まれると映えますね。
本丸北壁の石垣モデル(17世紀後半~四代藩主綱村時代) 仙台市は、老朽化した仙台城本丸跡の石垣を丸6年の歳月をかけ全面的に解体・修復しました。この石垣モデルは江戸時代に築かれた石垣の石材で、破損のために再利用できなかった石を用いて積み上げたものです。 Stone Wall Model(main bailey of castle,north wall) Used:Late 17th century to the rule of Date Tsunamura fourth lord of the Sendai han Sendai City has completely disassembled and repaired the old and damaged stone walls that compose Sendai Castle’s main bailey.The repair process took 6 years to complete.This stone wall model is made from stones that were used in the original Edo period stone wall,but were too damaged to reuse in the current, repaired wall. 角石(すみいし):石垣の隅角(ぐうかく)を構成する石で直方体の形をしています。角部の稜線を際立たせる「江戸切(えどぎ)り」という加工が見られ、滑り止めや角度調整のために鉄製のクサビ(「敷金(しきがね)」)が挟んであります。 築石(ちくいし):石垣の面を構成する石で、表面(「石面(いしづら)」は多角形になっています。石材の後ろ(石尻(いしじり))を細くし、石積み時や地震などの揺れに対し自由度を持たせています。 角脇石(すみわきいし):角石(すみいし)の隣の石で、角部を支え変形を防止する、大きな石材です。 切石整層積(きりいしせいそうづ)み:石切場(いしきりば)で規格された大きさの石材を調達し、石積みの際に、石垣の横方向の目地が通るように積まれた「切込接(きりこみは)ぎ」ともいわれる技法です。 木っ端石(こっぱいし):石材を加工する際に発生する石の破片(剥片(はくへん))で、石材の間に充填されています。 介石(かいいし):上下左右の隣合う石材の間や下に、安定させるために使用された石材です。
黒っぽい石垣。ここまで高石垣とは思いませんでした。
脇櫓(わきやぐら)は大手門の南側に配置され、一階がL字形となり、角の部分に二階をのせている。建物は壁や柱を白漆喰(白漆喰)で塗り込める、総白壁造(そうしらかべづくり)であった。屋根は入母屋造(いりもやづくり)・瓦葺(かわらぶき)である。一階の東西方向の桁行が54尺1寸(約16.4m)南北方向39尺(約12m)、高さ約11.5mで、大手門に比べてやや規模が小さい感があり、建築年代なども不明である。昭和20年(1945)7月9日の仙台空襲により、大手門とともに焼失した。現在の建物は、昭和42年(1967)に木造モルタル漆喰(しっくい)仕上げで再建されたものである。 The Waki-yagura Watchtower was a two-story building with a tiled roof,located south of the Otemon Gate.The original building was burned down along with the Otemon Gate during the Sendai Air Raid on July 9,1945.The current building was reconstructed in 1967,made of wood and mortar.
大手門北側土塀の西側にあります。
桃山様式の壮麗な大手門が存在していました。旧国宝。戦災さえなければ・・・。
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