お知らせ 詳細
海が満ちかけていて砂浜は海の中へ
東南出丸から
この崖上に櫓が建っていたかもだそうです。
三之丸には礎石建物や鍛冶屋、北側には櫓があったそうです。
この位置からだと二つの島が重なってみえちゃいますね。
村上水軍博物館に展示してある竜の飾り付き小早
けっこう大島から近いです。
村上武吉の息子で兄・元吉とともに活躍しました。能島村上家はこちらの家系が長州藩士として残ったようです。
クルーズ船の発着場の「能島水軍」の脇に並んでいました。 毎年夏に行われる水軍レース大会に使うものでしょうか? ちなみに2018年は7月 29日開催のようです。
こちらの船で潮流体験をしたのち上陸しました。 防波堤の先に能島城が見えています。
掘立柱建物跡が3棟分見つかっているそうです。
南部平坦地、南東出丸、海を挟んで鯛崎出丸と続いています。
三之丸の北端には櫓が建っていたそうです。また手前の階段を下りた先は船溜まりになります。
潮が満ちていて砂浜は海の底でした。
能島城跡には桜が沢山植えられています。
二之丸東区より撮影。今回の上陸ツアーではコースに入ってはいませんでした。 武器庫があったのではと言われています。
本丸の周囲の帯郭が二之丸です。こちらは本丸の北東側で東区と区分されているようです。
能島城は水源がなく写真中央あたりの対岸の水源から水を運び、甕に貯水していたそうです。
同じアングルの写真もありますがこちらは満ち潮バージョンということで。 もっと潮が満ちると鯛崎島の石の桟橋も海中に没するようです。
中央高所が本丸、一段下のベンチのあるところが二之丸南区、左端の休憩所があるところが三之丸、右端の階段が見えるところが矢櫃郭です。
クジラの親子が島の周辺で遊んでいた。母クジラが居眠りしている間に潮が引いてしまい母クジラが島に取り残され海に戻れなくなった。泣いてる子クジラを見かねてお地蔵様が海の生き物を呼び寄せ、皆で母クジラを海に戻したという昔話が残っており、お地蔵様(2代目)が鯛崎島の南端に安置されています。
村上武吉の嫡男で能島村上水軍を引き継いだが関ヶ原の戦いに付随した毛利の四国攻めに参戦中戦死した。
戦国期の能島村上水軍の大将で厳島合戦などで活躍した。
直径1mの用途不明の大穴のレプリカです。村上水軍博物館のロビーに展示されています。
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