[福島県][陸奥] 福島県伊達市保原町城ノ内
寛保二(1742)年に白河藩松平家が信達分領十七ヶ村支配のため保原陣屋を設けました。それが旧保原城・二の丸跡に位置していました。現在、なかのクリニックに城址碑がありますが、城としての目立つ遺構はありません。町内の長谷寺には、保原陣屋から移築された長屋門が残っています。
保原駅から徒歩12分で、城跡とされる伊達市保原市民センター周辺に至ります。遺構は見つけられませんでしたが、近くの「なかのクリニック」に城の標柱が立っています。城跡の前の道路に陣屋通りの名がついています。
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とてもローカルな内容ですが、地元の城郭研究会の方々が実際に現地調査をして書かれているので、和歌山の城を知りたいときにはとても役立ちます。 特に、和歌山は著名な戦国武将がいないわりに、中央に近いので、その影響をもろに受け、群雄が接近したり反発したりととても複雑な様相を示しています。多数存在する小領主とその居城を網羅するこのような本の存在は大変ありがたいです。 今回は、図書館で借りましたが、自分でも持っておこうと思いました。
( 黒まめさん)
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